ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ボリス1世ミハイル」の意味・わかりやすい解説
ボリス1世ミハイル
ボリスいっせいミハイル
Boris I Mikhail
[没]907.5.2. プレスラフ
ブルガリアのハン (在位 852~889) 。ブルガリアが遊牧民の小国からヨーロッパ有数の大国に発展する基礎を築いた人物。スラブ系の住民と少数者であるブルガール人の融和をはかるため,キリスト教導入を考慮。初めギリシア正教に帰依した (864) が,ビザンチン教会による布教が自国の独立を脅かすことを恐れ,フランク王国と結ぼうとした (866) 。しかしローマ教皇がブルガリア教会の独立に一層消極的であることを知り,結局コンスタンチノープル総主教の名目的な管轄下にブルガリア大主教区の実質的な独立を得てギリシア正教を採用した (870) 。みずから洗礼名ミハイルを名のり,国民に改宗を強制,異教に固執した大貴族は容赦なく弾圧した。 886年モラビアを追放されたメトディオス (→キュリロスとメトディオス ) の弟子たちを保護,ギリシア語に代えてスラブ語による布教を奨励し,教会スラブ語による最初のスラブ文学の成立を助けた。 889年長子ウラジーミルに位を譲り,修道士となったが,ウラジーミルの治下に異教が勢力を復活するのをみてこれを失脚させ,末子シメオン1世 (大帝)に跡を継がせて再び引退。死後聖人に列せられた。
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