日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
ポイント・フォア・プログラム
ぽいんとふぉあぷろぐらむ
Point Four Program
第二次世界大戦後のアメリカの発展途上国援助計画。トルーマン大統領は1949年1月の年頭教書で、重要政策の第4項(ポイント・フォア)として、途上国への開発援助をあげたためにこの名がある。対ヨーロッパのマーシャル・プランに続くもので、もとより発展途上国での反共体制の整備と、アメリカの政治経済力の伸長とにその目標があった。
このため、同年6月の特別教書で、〔1〕技術援助実施のための機関の設立、〔2〕政治的に不安定な途上国への民間対外投資促進のため輸出入銀行による投資補償の権限、〔3〕初年度費用に4500万ドルを計上、を明らかにした。これらの目的のために翌50年に国際援助法が制定されたが、51年には相互安全保障法(MSA法)に吸収された。当初、ポイント・フォア計画は、49年現在で1人当り国民所得が100ドル以下の28か国、人口15億6500万人がこの目的に該当するとされ、農業などを中心とする技術援助、保健衛生、教育に力点が置かれたが、計画担当者側の途上国の実情への無理解と、受け入れの途上国側の社会構造上の困難などから、援助の効果はかならずしも十分にあがらず、アメリカ議会からの批判も強まり、最後にMSAに吸収されたときには、ポイント・フォア本来の目標はほぼ失われていた。
[陸井三郎]