MSA(読み)エムエスエー

デジタル大辞泉 「MSA」の意味・読み・例文・類語

エム‐エス‐エー【MSA】[Mutual Security Act]

Mutual Security Act米国が1951年に制定した相互安全保障法自由主義諸国に対する軍事・経済等の対外援助の条件として、被援助国は防衛力を強化する義務を負う。

エム‐エス‐エー【MSA】[Maritime Safety Agency of Japan]

Maritime Safety Agency of Japan海上保安庁の旧略称。平成12年(2000)から、JCG(Japan Coast Guard)に改められた。

エム‐エス‐エー【MSA】[multiple system atrophy]

multiple system atrophy》⇒多系統萎縮症

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精選版 日本国語大辞典 「MSA」の意味・読み・例文・類語

エム‐エス‐エー【MSA】

  1. 〘 名詞 〙
  2. ( [英語] Mutual Security Act の略 ) 一九五一年に成立した米国の相互安全保障法。自由主義陣営の軍事、経済、技術援助目的とする。
  3. ( [英語] Mutual Security Agency の略 ) 相互安全保障本部。米国の対外援助を統轄する本部。一九六一年国際協力局に統合された。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「MSA」の意味・わかりやすい解説

MSA(日米相互防衛援助協定)
えむえすえー

正式にはアメリカ合衆国の「相互安全保障法」Mutual Security Act(1951年10月10日制定)の略称であるが、一般にはこの法律に基づいて締結された「日米相互防衛援助協定」Mutual Defence Assistance Agreement between the U.S.A.and Japan(1954年3月8日署名、同年5月1日発効)のことをいう。前者の法律は、それまで種々の法的根拠の下に行われていた合衆国の対外援助を単一の法の下に統合するものであるが、これにより合衆国の援助は安全保障上の考慮によって強く規定されることになり、とくに被援助国は、自国と自由世界の防衛力の維持・増進のための全面的寄与を求められることになった。他方、協定では、両国政府は平和と安全保障の促進のために使用されるべき装備、資材、役務その他の援助を相互に(合意があれば第三国へも)供与しあうことを約束(1条)したが、前記法規定を受けて日本政府は、日米安全保障条約上の軍事的義務を履行し、自国の防衛力と自由世界の防衛力の発展・維持に寄与し自国の防衛能力の増強に必要なすべての合理的措置をとること(8条)を約束した。この規定によって、1951年(昭和26)の安保条約では前文で期待されるにとどまっていた日本の防衛力増強が、明確な法的義務とされるとともに、自由世界の防衛力と結び付けられたのである。

 協定ではこのほか、日本による合衆国への不足資源の譲渡(2条)、供与される物件等の秘密保持(3条、附属書B)、防衛のための工業所有権と技術上の知識の交換のための取極(とりきめ)の作成(4条)、援助の進捗(しんちょく)状況を観察するための米政府職員の日本による接受(7条、附属書F)、日本の防衛産業の育成(附属書A)、装備等の標準化(附属書C)、日本の対社会主義国貿易の制限(附属書D)などを規定した。この協定第3条の実施のために、日本では1954年6月9日に「日米相互防衛援助協定等に伴う秘密保護法」(MSA秘密保護法、防衛秘密保護法ともいう)が制定されている。この協定の実施のためには、その後多くの個別的な協定や取極が結ばれている。合衆国のMSA法は1961年には「対外援助法」にとってかわられ、それ以後同国の援助は発展途上国中心となるが、本協定はいまだに効力を継続しており、これに基づく日本からの武器の対米輸出や軍事技術の対米移転が、問題となっている。

[松井芳郎]

 2007年(平成19)12月には、海上自衛隊の3等海佐が、イージス艦の機密情報を漏洩(ろうえい)したとして、MSA秘密保護法違反で逮捕されるという事件が発生した。

[編集部]


MSA(医学)
えむえすえー

多系統萎縮症

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「MSA」の意味・わかりやすい解説

MSA
エムエスエー
Mutual Security Act

1951年 10月に成立したアメリカの相互安全保障法。 MSA援助はこの法律に基づいてつくられる安全保障計画 MSPに従って与えられるアメリカの対外援助。朝鮮戦争を契機として,経済協力法 (1948対外援助法) ,相互防衛援助法 (49) ,国際開発法 (50) を,軍事援助を主とした援助法に統合したもの。 53年の第2次修正法でその運用上日本も含まれることになり,54年3月日米相互防衛援助協定,付属書が結ばれた (60.6.改訂) 。同年第3次修正法が承認された。同法によると援助の種類として相互防衛援助,開発援助,技術援助などがあり,相互防衛援助には軍事援助 (軍用装備,資材,役務の無償供与または貸与) ,直接軍隊支持 (インドシナのフランス軍,被援助国の軍隊への援助) ,防衛支持 (被援助国,国際機関の軍事努力の支持,増強のための物品,役務,財務,財政などの援助供与) が含まれる。被援助国は防衛力強化の義務があり,共産圏禁輸のバトル法の適用を受けることとなった。 J.ケネディ大統領は国際開発局 AIDを新設し,61年9月 MSAに代る対外援助法 FAAに署名したが,これは経済援助に重点をおいたものである。

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旺文社世界史事典 三訂版 「MSA」の解説

MSA
エムエスエー

Mutual Security Actの略称。アメリカの軍事援助による反共・反ソを目的とした相互安全保障法の通称
1951年に成立。軍事援助に重点を置いたため,援助受益国は相互防衛の軍事義務を負い,対共産圏貿易を制限された。

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内科学 第10版 「MSA」の解説

MSA

multiple system atrophy,多系統萎縮症

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世界大百科事典(旧版)内のMSAの言及

【軍事顧問団】より

…まず上院は1948年6月,個別的・集団的安全保障の取決めを結ぶにあたっては〈継続的かつ効果的な自助および相互援助を基礎〉とすべきことを求めるバンデンバーグ決議を採択した。これを受けてアメリカ政府は49年に相互防衛援助法を,51年には相互安全保障法(MSA)を,61年には対外援助法を制定し,各国と協定を結んでいった。日本は1954年3月8日に日米相互防衛援助協定(MSA協定)を結び,46番目の締結国となった。…

【MSA協定】より

…1954年3月8日,岡崎勝男外務大臣とアリソンJ.M.Allison駐日アメリカ大使との間で調印された協定で,〈相互防衛援助協定〉〈農産物購入協定〉〈経済措置協定〉〈投資保障協定〉の四つからなる。日本の軍事力増強を図るためにアメリカが援助を与えることを主旨とし,その根拠がアメリカで1951年10月に成立した相互安全保障法Mutual Security Act(略称MSA)に求められたのでこの名がある。MSAは,従来さまざまな立法によって行われていた経済・軍事援助を一本化し,アメリカの援助受入国に対して自国および自由世界の防衛のための努力を義務づけた法律であり,1950年代のアメリカの世界戦略を担っていた(〈軍事援助〉の項目を参照)。…

【軍事援助】より

…1947年3月12日に発表されたトルーマン・ドクトリン,同年6月5日に発表されたマーシャル・プランがその出発点であったが,50年代半ばまでのアメリカの軍事援助は,(1)援助受入国の大多数が2国間あるいは多数国間の同盟条約によりアメリカと軍事的に密接に結びつけられていたこと,(2)援助の大半が無償で行われたこと,という特徴を有していた。51年に制定された相互安全保障法Mutual Security Act(略称MSA)は,それまでさまざまな立法によって行われていた経済・軍事援助を一本化したものだが,同法はアメリカの援助受入国に対し,自国および自由世界の防衛のための努力を義務づけた。しかし55年にソ連がチェコスロバキアを通じエジプトに武器を供給し,非共産主義国への軍事援助に初めて踏み切ったことから,アメリカもまた同盟国以外の第三世界諸国に積極的に軍事援助を供与するようになった。…

【軍事顧問団】より

…まず上院は1948年6月,個別的・集団的安全保障の取決めを結ぶにあたっては〈継続的かつ効果的な自助および相互援助を基礎〉とすべきことを求めるバンデンバーグ決議を採択した。これを受けてアメリカ政府は49年に相互防衛援助法を,51年には相互安全保障法(MSA)を,61年には対外援助法を制定し,各国と協定を結んでいった。日本は1954年3月8日に日米相互防衛援助協定(MSA協定)を結び,46番目の締結国となった。…

【コンゴ共和国】より

…パリ在住のコンゴ人マツワAndré Matswaの〈友愛運動〉が熱狂的に支持されたのも,フランスのコンゴ支配の厳しさへの反作用であったといえる。 1946年に南部でコンゴ進歩党(PPC)が,北部でフランス社会党の支部が結成され,後者はのちにアフリカ社会主義運動(MSA)と称するようになった。56年にはユールーAbbé Fulbert Youlou(1917‐72)によってアフリカ人利益擁護民主同盟(UDDIA)が創設され,その結果PPCは影響力を弱め,UDDIAとMSAが拮抗する状況が生まれた。…

※「MSA」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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