正式にはアメリカ合衆国の「相互安全保障法」Mutual Security Act(1951年10月10日制定)の略称であるが、一般にはこの法律に基づいて締結された「日米相互防衛援助協定」Mutual Defence Assistance Agreement between the U.S.A.and Japan(1954年3月8日署名、同年5月1日発効)のことをいう。前者の法律は、それまで種々の法的根拠の下に行われていた合衆国の対外援助を単一の法の下に統合するものであるが、これにより合衆国の援助は安全保障上の考慮によって強く規定されることになり、とくに被援助国は、自国と自由世界の防衛力の維持・増進のための全面的寄与を求められることになった。他方、協定では、両国政府は平和と安全保障の促進のために使用されるべき装備、資材、役務その他の援助を相互に(合意があれば第三国へも)供与しあうことを約束(1条)したが、前記法規定を受けて日本政府は、日米安全保障条約上の軍事的義務を履行し、自国の防衛力と自由世界の防衛力の発展・維持に寄与し自国の防衛能力の増強に必要なすべての合理的措置をとること(8条)を約束した。この規定によって、1951年(昭和26)の安保条約では前文で期待されるにとどまっていた日本の防衛力増強が、明確な法的義務とされるとともに、自由世界の防衛力と結び付けられたのである。
協定ではこのほか、日本による合衆国への不足資源の譲渡(2条)、供与される物件等の秘密保持(3条、附属書B)、防衛のための工業所有権と技術上の知識の交換のための取極(とりきめ)の作成(4条)、援助の進捗(しんちょく)状況を観察するための米政府職員の日本による接受(7条、附属書F)、日本の防衛産業の育成(附属書A)、装備等の標準化(附属書C)、日本の対社会主義国貿易の制限(附属書D)などを規定した。この協定第3条の実施のために、日本では1954年6月9日に「日米相互防衛援助協定等に伴う秘密保護法」(MSA秘密保護法、防衛秘密保護法ともいう)が制定されている。この協定の実施のためには、その後多くの個別的な協定や取極が結ばれている。合衆国のMSA法は1961年には「対外援助法」にとってかわられ、それ以後同国の援助は発展途上国中心となるが、本協定はいまだに効力を継続しており、これに基づく日本からの武器の対米輸出や軍事技術の対米移転が、問題となっている。
[松井芳郎]
2007年(平成19)12月には、海上自衛隊の3等海佐が、イージス艦の機密情報を漏洩(ろうえい)したとして、MSA秘密保護法違反で逮捕されるという事件が発生した。
[編集部]
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…まず上院は1948年6月,個別的・集団的安全保障の取決めを結ぶにあたっては〈継続的かつ効果的な自助および相互援助を基礎〉とすべきことを求めるバンデンバーグ決議を採択した。これを受けてアメリカ政府は49年に相互防衛援助法を,51年には相互安全保障法(MSA)を,61年には対外援助法を制定し,各国と協定を結んでいった。日本は1954年3月8日に日米相互防衛援助協定(MSA協定)を結び,46番目の締結国となった。…
…1954年3月8日,岡崎勝男外務大臣とアリソンJ.M.Allison駐日アメリカ大使との間で調印された協定で,〈相互防衛援助協定〉〈農産物購入協定〉〈経済措置協定〉〈投資保障協定〉の四つからなる。日本の軍事力増強を図るためにアメリカが援助を与えることを主旨とし,その根拠がアメリカで1951年10月に成立した相互安全保障法Mutual Security Act(略称MSA)に求められたのでこの名がある。MSAは,従来さまざまな立法によって行われていた経済・軍事援助を一本化し,アメリカの援助受入国に対して自国および自由世界の防衛のための努力を義務づけた法律であり,1950年代のアメリカの世界戦略を担っていた(〈軍事援助〉の項目を参照)。…
…1947年3月12日に発表されたトルーマン・ドクトリン,同年6月5日に発表されたマーシャル・プランがその出発点であったが,50年代半ばまでのアメリカの軍事援助は,(1)援助受入国の大多数が2国間あるいは多数国間の同盟条約によりアメリカと軍事的に密接に結びつけられていたこと,(2)援助の大半が無償で行われたこと,という特徴を有していた。51年に制定された相互安全保障法Mutual Security Act(略称MSA)は,それまでさまざまな立法によって行われていた経済・軍事援助を一本化したものだが,同法はアメリカの援助受入国に対し,自国および自由世界の防衛のための努力を義務づけた。しかし55年にソ連がチェコスロバキアを通じエジプトに武器を供給し,非共産主義国への軍事援助に初めて踏み切ったことから,アメリカもまた同盟国以外の第三世界諸国に積極的に軍事援助を供与するようになった。…
…まず上院は1948年6月,個別的・集団的安全保障の取決めを結ぶにあたっては〈継続的かつ効果的な自助および相互援助を基礎〉とすべきことを求めるバンデンバーグ決議を採択した。これを受けてアメリカ政府は49年に相互防衛援助法を,51年には相互安全保障法(MSA)を,61年には対外援助法を制定し,各国と協定を結んでいった。日本は1954年3月8日に日米相互防衛援助協定(MSA協定)を結び,46番目の締結国となった。…
…パリ在住のコンゴ人マツワAndré Matswaの〈友愛運動〉が熱狂的に支持されたのも,フランスのコンゴ支配の厳しさへの反作用であったといえる。 1946年に南部でコンゴ進歩党(PPC)が,北部でフランス社会党の支部が結成され,後者はのちにアフリカ社会主義運動(MSA)と称するようになった。56年にはユールーAbbé Fulbert Youlou(1917‐72)によってアフリカ人利益擁護民主同盟(UDDIA)が創設され,その結果PPCは影響力を弱め,UDDIAとMSAが拮抗する状況が生まれた。…
※「MSA」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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