日本大百科全書(ニッポニカ) 「ポントス王国」の意味・わかりやすい解説
ポントス王国
ぽんとすおうこく
紀元前298年、ペルシア系貴族のミトリダテスがセレウコス朝の支配から逃れて、黒海南岸・小アジア北東部のポントスPontos地方に建てた王国。内陸の高原・山岳地帯では旧来の村落共同体中心の生活が営まれていたが、沿岸の平野部は肥沃(ひよく)でギリシア系の都市も点在し、ヘレニズム文化もしだいに浸透した。黒海を利用した商業・交易の中心でもあり、主要都市にアマセイア、王都シノペ、アミソスなどがあった。前2世紀初めからファルナケス1世が積極的な領土拡大政策をとり発展したが、周辺諸王国やローマによる反対のためこの政策は途中で挫折(ざせつ)した。4代後のミトリダテス6世(在位前120~前63)はふたたび拡大策に転じ、前110年ごろからクリミア半島一帯にまで支配を及ぼし、ついに、小アジア西部に属州アシアを設けていたローマと前88年から三度にわたって大戦争を繰り広げた。だがこの戦いはローマの勝利に終わり、前64年にこの地はポンペイウスによってローマの属州に組み込まれた。
[田村 孝]