20世紀西洋人名事典 「マクシムゴーリキー」の解説
マクシム ゴーリキー
Maksim Gor’kii
1868.3.28 - 1936.6.18
ソ連の作家。
ニジニ・ノブゴロド生まれ。
本名アレクセイ・マクシモヴィチ・ペシコフ〈Aleksei Maksimovich Peshkov〉。
幼児に両親を失い職業を転々とし、国内放浪中の1892年、処女作「マカール・チュドラ」をマクシム・ゴーリキーの筆名で発表。1901年発表の「海燕の歌」では迫り来る革命の嵐を予言し、同年の戯曲「小市民」では劇作家としても名声を得る。’02年科学アカデミー名誉会員に推薦されたが、皇帝から拒否される。’06年アメリカに亡命し、’13年の大赦で帰国。その後、’21年から肺結核の療養のため、イタリアとソ連を往復し、’33年帰国。’34年ソ連作家同盟結成に尽力。作品は他に「幼年時代」(’13年)、「母」(’07年)など。
出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報