日本大百科全書(ニッポニカ) 「マクマホン・ライン」の意味・わかりやすい解説
マクマホン・ライン
まくまほんらいん
MacMahon-line
1914年3月、イギリス、中国、チベットの三者によるシムラ会議の際、イギリス全権マクマホンSir Arther Henry MacMahon(1862―1949)とチベット全権との間に結ばれたブータン東方のインド北東部とチベット間の境界線。この地域の係争面積は9万平方キロメートルに達する。中国側は正式の署名調印を拒否した。インド側はこの線を中国・インド両国間の国境線と主張し、制圧したが、中国側は認めず、1962年の国境紛争の主要舞台となった。87年2月20日、インド政府はこの地域にアルナーチャルArunachal州を正式に設置したが、その翌日、中国外務省スポークスマンはマクマホン・ラインとアルナーチャル州を承認しないと声明した。その後88年12月、ネルー首相訪中以来34年ぶりにラジブ・ガンディー首相が訪中、平和五原則を再確認して中印国境問題解決のため、合同グループを設置することで合意した。
[安藤正士]