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中印国境問題 ちゅういんこっきょうもんだい

知恵蔵の解説

中印国境問題

3000km余り隣接するインドと中国の間で未解決になっている国境の画定問題。インドは旧宗主国の英国から譲渡された領土の境界線を原則とし、中国はヒマラヤ山系の南側に沿う慣習上の境界線を主張している。1962年10〜12月には軍事衝突が起き、国境紛争となった。中国はインドが領土と主張するカシミール東部も占拠し、事実上の国交断絶に発展した。その後、中国はパキスタンとの関係を強化、中印間は険悪な関係が続いた。しかし、88年のラジブ・ガンジー首相の訪中以来、徐々に改善。99年にインドとパキスタンがカシミール地方で衝突したカルギル紛争では、中国は不介入の姿勢をとった。2003年6月の中印首脳会談では、インドがチベット自治区を中国領と認め、中国がシッキム州経由の貿易再開に合意した。04年以降の印パ関係の改善も、中印関係に好影響を与え、05年4月に訪印した温家宝首相は、「中印国境問題解決のための政治枠組みと指針」に調印。中国は初めて「シッキム州はインドの州」と認めた。06年7月には、シッキム州とチベット自治区の間が44年ぶりに開放された。開放されたナトゥラ峠は標高4545mの高地で、古来、シルクロード南ルートの交易拠点だった。関係改善の背景には、両国間の貿易が年200億ドルに迫る経済交流の活発化もある。ナトゥラ経由の貿易拡大にも期待がかかるが、なお国境が画定しない地点も多い。

(竹内幸史 朝日新聞記者 / 2007年)

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

中印国境問題

ヒマラヤ、カラコルム山脈で隔てられたインドと中国の間は、約3千キロの国境が画定されておらず、62年に軍事衝突に発展した。両国は05年、国境画定のための対話を開始した。

(2008-02-05 朝日新聞 朝刊 1外報)

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百科事典マイペディアの解説

中印国境問題【ちゅういんこっきょうもんだい】

東部のアッサム地区,西部のラダック地区の国境線をめぐる主張の食い違いから中国とインドの間で起きた紛争。西部国境では,1956年に中国がラダック北方のアクサイ・チン地方を通って新彊とチベットを結ぶ道路を建設した。
→関連項目アジアインドカシミールチベット問題メノン

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世界大百科事典 第2版の解説

ちゅういんこっきょうもんだい【中印国境問題】

アジアの二大国,中国とインドとの間には,世界の屋根といわれるカラコルム山系および大ヒマラヤ山系が,東西約3200kmにわたって走っている。現在両国合意の下に画定された国境線はない。国境問題に関しての中国側の主張は,双方の行政管轄範囲に基づいて,古くから二つの山系の南麓に沿って,伝統的な慣習上の境界線が形づくられているが,この境界線を基礎にして平和五原則に従った,友好的な交渉によって解決すべし,という。

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世界大百科事典内の中印国境問題の言及

【チベット問題】より

…チベット問題とは,国際的には主として中印国境問題であり,国内的には漢族とチベット族の関係すなわち少数民族問題およびチベット自治区の民主改革問題のことである。チベットは清朝統治下にあっても,ダライ・ラマを頂点とする独特の宗教支配をたもってきた。…

※「中印国境問題」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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