マチネ・ポエティク(読み)まちねぽえてぃく

日本大百科全書(ニッポニカ) 「マチネ・ポエティク」の意味・わかりやすい解説

マチネ・ポエティク
まちねぽえてぃく

文学グループ。1942年(昭和17)秋、中村真一郎加藤周一福永武彦(たけひこ)らによって結成。初め各自の詩や小説、そしてエッセイの朗読会であったが、しだいに定型詩への関心を深めていった。その結果は第二次世界大戦後の『マチネ・ポエティク詩集』(1948)に示されている。この押韻定型詩の試みは、三好(みよし)達治の『マチネ・ポエティクの試作に就て』などによって否定的にしか評価されなかった。なお、このグループは46年(昭和21)に雑誌『世代』を、48年に同じく『方舟(はこぶね)』を創刊。ほかにエッセイ集『1946 文学的考察』(1947)もある。

[安藤靖彦]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内のマチネ・ポエティクの言及

【戦後文学】より

…荒正人,平野謙らを含む後者は戦後の新文学を生みだす基盤をつくり,やがて野間宏,椎名麟三,武田泰淳らの登場をうながした。早熟の三島由紀夫も彼らとともに登場し,他方,加藤周一ら〈マチネ・ポエティク〉のグループも新しい主張をおこなって注目された。しかし前述の《新日本文学》や《近代文学》の対極には非左翼系の批評として小林秀雄,福田恒存,中村光夫らの活動もあった。…

【ソネット】より

…しかし,その清新で繊細な抒情はこの詩型にふさわしいものとなった。第2次大戦直後に刊行されたマチネ・ポエティク(中村真一郎,福永武彦ら)の詩作には押韻ソネットの試みが見られる。現代では谷川俊太郎に詩集《六十二のソネット》がある。…

【福永武彦】より

…東大仏文科卒。1942年に中村真一郎,加藤周一らと文学グループ〈マチネ・ポエティク〉を結成し,押韻定型詩をこころみ,また長編を書きすすめた。戦後は結核が再発して療養生活をつづけたために出発がおくれたが,長編《風土》(1952)が西欧的ロマンとして注目され,《草の花》(1954)によって戦後作家としての位置を確立した。…

【マチネー】より

…演劇用語で昼間興行のことを指す。フランス語のmatinéeは,もともと〈午前中〉という意味であるが,そこから出て,通常の夜間興行に対して,午後に行われる演劇興行をいうようになった。したがって,多くは昼間と夜間の並行する二部興行制となる。日本の大劇場演劇(たとえば歌舞伎など)では,それぞれ別の演目を立てる二部制であるが,欧米では週1回の休場による興行成績の低下を避けるため,この興行形式で同一演目を昼間に上演し,週に昼夜あわせて8回の上演を確保するという場合が多い。…

※「マチネ・ポエティク」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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