マラータ戦争(読み)マラータせんそう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マラータ戦争」の意味・わかりやすい解説

マラータ戦争
マラータせんそう
Marāthā Wars

インドマラータ連合 (→マラータ ) とイギリス東インド会社との間の戦争。 18世紀末~19世紀初頭に3度戦われた。第1次戦争は 1775年に宰相 (ペーシュワー ) 位に野心をいだくラグナート・ラーオ (前宰相) が宰相マーダバ・ラーオを擁するナーナー・ファドナビースに対抗するためにイギリスに援助を求めて戦いを起した。第2次戦争は 1803年に宰相バージー・ラーオ2世がマラータ諸侯との抗争に際してイギリスに援軍を求めたのを口実に,イギリスはマラータ諸侯を次々に破った。 17年に始る第3次戦争で,イギリスは宰相のみならず,マラータ諸侯を完全に破って,宰相領を没収し,ほかのマラータ諸侯領を藩王国とした。このようにして,18世紀にムガル帝国に代ってインド最大の政治権力であったマラータ勢力は,内部分裂を利用したイギリスの巧妙な策略と軍事力の前に,18年最終的に敗れ去り,インドの植民地化は急速に進んだ。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「マラータ戦争」の意味・わかりやすい解説

マラータ戦争
まらーたせんそう

インドのマラータMarātha勢力とイギリス東インド会社との間で三度(1775~82、1802~05、1817~18)にわたって戦われた戦争。第一次はマラータ宰相(ペーシュワー)位をめぐる内紛にイギリスが介入したもので、マラータ宰相府の権威実力を著しく低下させた。第二次は北インドでマラータの最有力の侯であったシンデー家とイギリスが戦い、勝利したイギリスは広大な地域をシンデー家から割譲された。第三次は宰相バージー・ラーオ2世とイギリスとが戦ったもので、すでに弱体化していた宰相府は有効な抵抗をすることができず、有力な諸侯たちもすでにイギリスと結んでいたため、宰相府は最終的に滅ぼされ、宰相は北インドのカウンプルに流された。

[小谷汪之]

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