現代外国人名録2016 「ミハエルシューマッハー」の解説
ミハエル シューマッハー
Michael Schumacher
- 職業・肩書
- 元F1ドライバー
- 国籍
- ドイツ
- 生年月日
- 1969年1月3日
- 出生地
- 西ドイツ・ノルトライン・ウェストファーレン州ヒュルト・ヘルミュルハイム(ドイツ)
- 経歴
- 4歳からカートに乗り始め、1983年初めてカートのレースに出場、’84年、’85年ドイツジュニア選手権優勝、’85年世界ジュニア選手権2位。若い頃からメルセデス・ベンツで英才教育を受ける。’89年F3に参戦。’90年ドイツF3でシリーズ・チャンピオンになり、“F3世界一決定戦”ともいえるマカオGP、富士インターF3を制した。◆◆’91年8月ベルギーGPでジョーダンからスポット参戦してF1デビュー。続くイタリアGPでベネトンに移り、デビュー2戦目にして5位入賞。’92年5月10戦目で2位入賞を果たし、9月ベルギーGPで初優勝、同年のF1シリーズ総合3位。’93年総合4位。◆◆’94年に8勝し、ドイツ人初の年間総合王者となる。’95年9勝をマークし、2年連続総合優勝。◆◆’96年名門フェラーリへ移籍。同年3勝で総合3位。’97年5勝するが、最終戦の欧州GPでジャック・ビルヌーブ(カナダ)に接触、国際自動車連盟より’97年シーズンの総合成績抹消のペナルティが言い渡される。’98年6勝で総合2位。’99年7月英国GPで骨折、同年は2勝で総合3位。2000年9勝で3度目の総合優勝。◆◆2001年3月マレーシアGPで史上初の6戦連続ポール・ツー・ウインを獲得。同年8月ハンガリーGPで2年連続総合優勝を決め、9月ベルギーGPでアラン・プロスト(フランス)の持つ通算最多勝記録を更新する52勝目を挙げる(同年9勝)。2002年7月フランスGPで史上最速の3年連続総合優勝を決め、5度目の年間総合王者となる。17戦全戦で表彰台に立つ史上初の偉業を達成。2003年6勝で6度目の総合優勝。2004年は13勝で史上初の5連覇、通算7度目の総合優勝。◆◆2005年は1勝に終わり、総合3位。2006年4月サンマリノGP(イタリア)で単独最多の通算66度目のポールポジション(PP)を獲得。同年は7勝して総合2位になったが、10月のブラジルGPを最後に現役を引退。フェラーリの復活に大きく貢献した。◆◆2009年7月古巣フェラーリのフィリペ・マッサ(ブラジル)がハンガリーGP予選で頭部を骨折、マッサ復帰までの代役として期間限定でF1に電撃復帰することを表明したが、首の痛みのため断念。◆2010年メルセデスと3年契約を結び、4年ぶりにF1に復帰。同年総合9位。2011年総合8位。メルセデスでは1度も優勝できずに2012年再度の引退を表明、総合13位でシーズンを終えた。年間王者7回・通算91勝は歴代最多で、圧倒的な強さから“皇帝”と称された。◆2013年12月フランス・アルプスのスキー・リゾート地メリベルでスキー中、転倒事故に遭い、脳挫傷により意識不明の重体に陥る。その後、意識を回復し、現在は自宅で療養する。◆◆弟ラルフもトヨタの元F1ドライバー。◆◆173センチ、74キロ。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報