ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説
ミラン・オブレノビッチ4世
ミラン・オブレノビッチよんせい
Milan Obrenović IV
[没]1901.2.11. ウィーン
セルビア公 (在位 1868~82) ,セルビア王 (在位 82~89) 。従兄ミハイロ・オブレノビッチ3世が暗殺されたのち公位につき,汎スラブ主義に傾く民意に反し,オスマン帝国に対して起されたボスニア・ヘルツェゴビナにおける反乱 (75) の支援を拒否したが,ついに民意に屈して,オスマン帝国と開戦 (76.6.) ,敗れたもののロシアの勝利のもとにセルビアの独立を達成した (78) 。 1882年3月セルビア王国を宣し,王位についたが,私生活の乱れと親オーストリア政策のため,国民の不人気を買い,さらにブルガリアとの戦いに敗れ (85) ,急進派の圧力下に新憲法を制定 (89) ,子アレクサンダル・オブレノビッチ5世に譲位して退位。その後一時軍司令官となった (97) が,新王と対立したためウィーンに引退。
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