神奈川条約(読み)かながわじょうやく

百科事典マイペディアの解説

神奈川条約【かながわじょうやく】

日米和親条約とも。1854年江戸幕府ペリーとの間に調印した12ヵ条の条約。日米両国の永世不朽の和親,下田・函館の開港,難破船乗組員の救助,燃料・食量の供給,片務的最恵国待遇の承認,下田駐在領事の許可等を規定。日本の開国の第一歩となった条約。神奈川条約はペリー艦隊の威嚇下で,武力衝突を回避するために調印を余儀なくされたもので,当初幕府は条約調印の事実のみを公表し,条約書の内容を朝廷や大名に明かさなかった。本条約に続き1854年10月日英和親条約に調印,イギリスに長崎,箱館を開き,1855年2月には日露和親条約の調印を行い,ロシアに下田,箱館,長崎を開いた。1856年1月30日(安政2年12月23日)にはオランダとも和親条約を結んだ。→日米修好通商条約
→関連項目阿部正弘開国論神奈川[区]孝明天皇桜田門外の変下田条約下田奉行条約勅許問題フィルモア

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世界大百科事典 第2版の解説

かながわじょうやく【神奈川条約】

1854年3月31日(嘉永7年3月3日)神奈川で調印された日米和親条約のこと。日本の開国の第一歩となった条約である。アメリカ側の全権は東インド艦隊司令長官ペリー,日本側の全権は儒役林韑(あきら),町奉行井戸覚弘,浦賀奉行伊沢政義,目付鵜殿長鋭。全12ヵ条で,翌55年2月21日(安政2年1月5日)下田で批准書を交換し発効した。おもな内容は以下のとおりである。条約の中心になるのは,アメリカ船に薪,水,食料,石炭などを供給するために,条約調印と同時に下田を,1年後に箱館を開くことを定めたことである。

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精選版 日本国語大辞典の解説

かながわ‐じょうやく かながはデウヤク【神奈川条約】

江戸幕府が安政元年(一八五四)三月、神奈川で、アメリカの遣日国使ペリーとの間に結んだ条約。下田、箱館(函館)両港へのアメリカ船の寄港、物資の買入れ、下田に領事をおくことなどを認めた。のちに安政五年(一八五八)調印の日米修好通商条約に吸収された。日米和親条約。

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世界大百科事典内の神奈川条約の言及

【開国】より

…対外的に鎖国をつづけていた封建日本が,欧米の先進資本主義列強に近代的な国交・通商関係を強いられ,不平等条約の締結を起点として資本主義的世界市場と近代国際政治のなかに従属的に包摂されたこと。
[条約の締結]
 日本の開国は,1853年7月(嘉永6年6月),浦賀に来航したペリー提督が率いる蒸気艦隊に威圧された幕府がまずアメリカ大統領国書を受領し,翌年(安政1)3月,再度来航したペリーとのあいだに日米和親条約(神奈川条約)を締結したのを発端とする。以来,幕府は,イギリス,ロシア,オランダとも和親条約を結び,外国船の寄港と補給のために下田,箱館,長崎などを開港したが,なお自由な通商貿易を認めてはいなかった。…

※「神奈川条約」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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