ミーチン
Mark Borisovich Mitin
生没年:1901-
ソ連邦~ロシアの哲学者。ロシア革命後の内戦時に共産党に入り,1929年に赤色教授養成学院哲学部を卒業したが,師のデボーリンを批判して,翌30年より《マルクス主義の旗の下に》誌の編集長に就任し,スターリン時代のソ連の哲学界を牛耳った。39年より科学アカデミー会員となり,マルクス=エンゲルス=レーニン=スターリン研究所所長も兼任した。しかし44年にジダーノフによって両職から解任され,第2次大戦後も閑職にあった。ジダーノフ死後,50年コミンフォルムの機関紙《恒久平和,人民の民主主義のために》の主筆として復帰し,60年代には《哲学の諸問題》誌の編集長もつとめた。
執筆者:和田 春樹
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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ミーチン
ソ連の哲学者。デボーリン批判で名を挙げ,《マルクス主義の旗の下に》誌編集長,科学アカデミー会員などになって,スターリン時代の哲学界を牛耳った。ジダーノフの台頭で失脚したが,戦後復帰,《哲学の諸問題》誌編集長を務めた。
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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ミーチン
Mitin, Mark Borisovich
[生]1901.7.5. シトミル
[没]1987.1.
旧ソ連の哲学者。 1920年代末から 30年代初めに行われた哲学論争で A.デボーリンおよびその一派を観念論的,反マルクス主義的として批判,43年には哲学史の分野での貢献によりスターリン賞を受賞。 58年7月来日。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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