デボーリン(英語表記)Abram Moiseevich Deborin

デジタル大辞泉 「デボーリン」の意味・読み・例文・類語

デボーリン(Abram Moiseevich Deborin)

[1881~1963]ロシア哲学者ロシア革命共産党入党、「マルクス主義の旗の下に」誌を主宰。1920年代のソ連哲学界の重鎮であったが、のちにスターリンによってその観念論傾向を批判された。著「弁証法的唯物論哲学入門」「弁証法と自然科学」など。

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改訂新版 世界大百科事典 「デボーリン」の意味・わかりやすい解説

デボーリン
Abram Moiseevich Deborin
生没年:1881-1963

ソ連邦の哲学者,歴史家。本名ヨッフェIoffe。カウナスの貧しいユダヤ人の家に生まれ,労働者として働くうち,社会民主主義者となる。1903年に亡命し,プレハーノフの影響を受け,ベルン大学哲学部で学んだ。07年よりメンシェビキに属した。主著《弁証法的唯物論哲学入門》は15年に刊行された。十月革命後,ソビエト政権に協力し,赤色教授養成学校などでマルクス主義哲学を教えた。26年より哲学雑誌《マルクス主義の旗の下に》の編集長をつとめた。28年に共産党に入党し,29年にはソビエト連邦科学アカデミー会員に選ばれた。弁証法ぬきの唯物論としてブハーリン学派を批判し,哲学界の最高権威となったが,30年には弟子ミーチンらから,ヘーゲル的観念論への偏向,レーニン段階(すなわちスターリン段階)の無視などの点で,〈メンシェビキ化しつつある観念論〉だと攻撃された。以後は哲学研究をやめ,ファシズムイデオロギーの研究から現代史研究に転換した。第2次世界大戦後は歴史研究所現代史部の部長をつとめた。
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百科事典マイペディア 「デボーリン」の意味・わかりやすい解説

デボーリン

ソ連のユダヤ系哲学者。初めメンシェビキ,革命後ソビエト政権に協力し,《マルクス主義の旗の下に》の編集責任者となる。1928年共産党入党。ブハーリン派批判などで活躍したが,1930年にメンシェビキ的観念論だとして攻撃され,以後は歴史研究に転じた。主著《弁証法的唯物論哲学入門》(1915年)。
→関連項目ミーチン

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「デボーリン」の意味・わかりやすい解説

デボーリン
Deborin, Abram Moiseevich

[生]1881
[没]1963
旧ソ連の哲学者,科学史家。ソ連科学アカデミー会員であった。哲学雑誌『マルクス主義の旗のもとに』編集責任者。 1920年代の唯物論哲学を指導し,機械論的唯物論を批判した。主著『弁証法と自然科学』 Dialektika i estestvoznanie (1928) など。

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世界大百科事典(旧版)内のデボーリンの言及

【マルクス主義】より

…イタリアのラブリオーラは,技術や経済のなかにのみ歴史の推進力を見いだす機械的決定論に反対し,主体的な階級意識の意義を強調する。ロシアのデボーリンはレーニンにならってヘーゲル研究に没頭し,哲学に対する諸科学の独立を主張した〈機械論者〉を批判して,個別科学に対する哲学の優位を論じた。そのことによってデボーリンは実践的立場への一歩を踏み出したのだが,のちにトロツキーの〈永続革命論〉の左翼的偏向に〈イデオロギー的基盤〉を与えるものとしてスターリンによって批判された。…

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