モホーク(読み)もほーく(その他表記)Mohawk

翻訳|Mohawk

日本大百科全書(ニッポニカ) 「モホーク」の意味・わかりやすい解説

モホーク
もほーく
Mohawk

アメリカ合衆国ニューヨーク州と、カナダオンタリオ州およびケベック州に、大半が居住している先住民集団(アメリカ・インディアン)で、イロコイ5国(のち6国)同盟一員。イロコイ5国同盟は、白人到来以前の16世紀にモホーク出身の伝説の英雄ハイウォサの指導下で、民族相互間の争いをなくし平和に共存するために結成されたといわれる。モホークは彼らのうちもっとも東に住んでいたことから「東の玄関番」とよばれた。

 17世紀前半にまずオランダ人と、そのあとイギリス人と交易関係を結び、フランス人と敵対したが、ウィリアム王戦争で甚大な損害を被ったため、18世紀には中立政策を維持した。フランスに味方したグループはカナダに移住してモントリオール近くのカーナワケとオカにコミュニティをつくった。人口が過剰になったため、18世紀なかばには、セント・リージズ保留地が設けられ、また一部は他のイロコイと合流して、オハイオを経てオクラホマに移住した。アメリカ独立戦争ではイギリス側について戦い、敗北した後、カナダのオンタリオに移住して、シックス・ネーションズとタイエンディナガの2保留地に居住した。さらに1881年にはオカ保留地からギブソン保留地が分立し合計六つのモホーク保留地ができた。

 伝統的には、男性は狩猟を女性は農耕をおもな生業としたが、保留地では男性も農耕に転換し、現代では賃金労働にも従事している。50人の首長からなるイロコイ同盟イロコイ連合)の評議会にはモホークは9人の首長を送った。宗教的には「偉大な精霊」中心の精霊信仰が基本であるが、1800年ごろに現れたハンサム・レイク教が、1960年代ににわかに復活し、イロコイの民族意識の高揚に貢献した。またモホーク語の維持・復活の努力も始まった。1950年代から活発になったモホークの復権運動の一つとして、セント・ローレンス水路計画に伴うモホーク領土の一部強制買収への反対運動をあげることができるが、その頂点を示すのが1990年の「オカの戦い」で、道路を封鎖した数百人のモホーク戦士を排除するため4000人の重装備のカナダ軍が出動した。

 カナダと合衆国にまたがって住むモホークの総人口は、両国間での「インディアン」および先住民の定義の違いもあって単純に合計できない。1990年の合衆国のモホーク人口は1万7106人で、イロコイの全人口5万2557人の3分の1を占める。その半分以上の9420人がニューヨーク州に、1209人がミシガン州に住み、残りの6477人が各地に分散している。一方、モホークを含めたカナダのインディアン人口は、オンタリオ州では保留地内が3万1530人、保留地外が5万9010人、ケベック州では保留地内が2万8230人と保留地外が1万5920人である。

[富田虎男]

『L・H・モルガン著、青山道夫訳『古代社会』上巻(岩波文庫)』『エドマンド・ウィルソン著、村山優子訳『森林インディアン イロクォイ族の闘い』(1991・思索社)』『ロナルド・ライト著、香山千加子訳『奪われた大陸』(1993・NTT出版)』『富田虎男著『アメリカ・インディアンの歴史』第3版(1997・雄山閣)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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