翻訳|Ontario
カナダ中央部に位置する州。面積106万8582km2(カナダ10州のうち第2位)。人口は1216万(2006)でカナダ第1位。州都トロントはカナダ第1の大都市である。州第2の都市はカナダの首都であるオタワ。人口構成はイギリス系67%,フランス系10%で,ドイツ系,イタリア系とつづくが,近年は中国系,日系などアジア系の人々の居住も増えてきた。オンタリオとはインディアンの語で〈水辺にそびえる岩〉を意味し,ナイアガラ瀑布周辺の景観にちなむと推測される。
北アメリカ大陸の内陸に位置するにもかかわらず,五大湖とハドソン湾に挟まれているので水運に恵まれ,とくに南部オンタリオはアメリカ合衆国に隣接して原料と市場に近いところから,世界有数の工業地帯として知られている。州面積の87%を占めるカナダ楯状地は,19世紀には州の発展にとって障害とみなされていたが,科学技術の発達により近年はその豊富な鉱物資源が注目され,交通網が整備されて森林や湖は観光客の訪れるところとなっている。
オンタリオ州の15%を占めるにすぎない南部オンタリオにはトロント,ハミルトン,ロンドン,ウィンザーなどの工業都市があり,85%の人口が居住している。したがって州の主要産業は総生産高の約70%を占める工業で,自動車を中心とする輸送機器,金属加工,食料品製造が三大主要工業といえる。伝統ある農業は総生産高に占める比率は小さいがカナダ第1の生産高を誇り,タバコ,野菜,トウモロコシがおもな換金農作物である。牧畜業は肉牛,乳牛が際だっている。
オンタリオ州は,17世紀初頭以来ニューフランスの一部であり,シャンプランをはじめとするフランスの探検家,宣教師の記録によりその状況が知られている。しかしフレンチ・インディアン戦争でフランスが敗退し,1763年イギリス領となった頃はほとんど未開の地であった。これを一変させたのは,アメリカ独立革命による王党派(ローヤリスト)の到来であった。約5000人の〈アメリカ人〉が五大湖へ向かって北上し,現在のトロント近辺に定住して,ここに1791年アッパー・カナダ植民地が誕生した。フランス系住民の多いロワー・カナダと異なり,ここでは政治・経済制度にイギリスのそれが取り入れられた。1812年から14年にいたる第2次英米戦争は,アッパー・カナダを主戦場とし,かつての王党派〈アメリカ人〉の反米意識はこれにより強化された。19世紀前半のアッパー・カナダは運河建設など交通網の改良に伴う経済成長の結果,政治的にも成熟をみせた。英国国教会と結託して政界を牛耳る〈家族盟約〉に抵抗して,政治の民主化運動を推進したW.L.マッケンジーは37年に蜂起を計画したが,彼の過激主義は保守的な風土に受け入れられず失敗した。しかしこの反乱の結果を視察したダラム卿は民主化を勧告し,41年アッパー,ロワー両カナダの統合が連合カナダ植民地として実現し,48年ここに責任政府が樹立されて大幅な自治を獲得した。かつてのアッパー・カナダは連合植民地においてはカナダ西部なる行政区を形成したが,ロワー・カナダのカナダ東部と同数の議席配分は,50年代に西部の人口が東部を上回るにいたって,農民や商人を中心とする西部住民の不満を引き起こし,彼らが主導する形で67年にカナダ自治領が成立した。この時カナダ西部はオンタリオ州としてカナダ連邦に参加した。
建国以来,人口,政治力,経済力の点で長らくカナダ第1の大州の地位を享受してきたオンタリオ州の政治動向は,連邦政治に影響を与えずにはおかなかった。古くは19世紀後半,州権論を唱えて保守党連邦政府に動揺を与えた自由党州政府の例がみられる。進歩保守党は1943年以来州政権を担当しており,この間の同州への新移民の増加,それに伴う経済・社会構成の変化をあわせ考えると,これはカナダ政治における特異現象と言えよう。州首相デービスWilliam Davisは連邦主義を奉じ,政党を異にするにもかかわらずトルドー首相に協力して82年のカナダ憲法制定に貢献した。
執筆者:大原 祐子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
カナダ中南部の州。北はハドソン湾に面し、南は五大湖を隔ててアメリカ合衆国に接する。面積は90万7655.59平方キロメートルで、カナダ全土の10%を占める。人口1141万0046(2001)はカナダ全人口の約36%を占め、全10州中最大である。州都はトロント。ほかにカナダの首都オタワ、ハミルトン、ロンドン、ウィンザー、サドベリーなどの都市、ナイアガラ滝やサザーンド・アイランズ、シェークスピア祭で有名なストラトフォード、ケティコやアルゴンキンの鳥獣保護区、50万を数える湖、78万平方キロメートルの原生林などがある。内陸州のため大陸性気候で、1月平均気温は零下6~零下24℃、7月は12~20℃で、年降水量は南部で約900ミリメートル、五大湖北方で約740ミリメートルである。
州の北部は先カンブリア紀の岩石からなるカナダ楯状地(たてじょうち)で、針葉樹林中に無数の氷河湖が点在し、森林資源に富む。州南部は肥沃(ひよく)で、農業地帯の中心をなしている。カナダとしては温和な気候を利用して、オンタリオ湖岸では果樹栽培、大都市周辺では野菜栽培や酪農が行われ、カナダの商品作物の約30%を産出している。五大湖の水運に恵まれ、アメリカの大工業地帯に近接しているため、トロント、キッチナー、ハミルトン、ウィンザーを結ぶ一帯はもっとも工業化が進み、人口の都市集中が激しい。都市域人口は州全体の約80%である。主要な工業は自動車、輸送機械、鉄鋼、食品、製紙などである。また、サドベリーを中心に金、銅、ニッケル、亜鉛、コバルトなどを産出し、鉱物の産出量はカナダ第1位で、その生産高は国の40%を占めている。
フランスの探検家シャンプレインが1615年に訪れ、その後1763年イギリス領となったが、1774年にはケベック州の一部となった。アメリカ独立戦争後に王党派が移住し、南部境界線が確定、1791年アッパー(上部)・カナダとしてケベックと分離した。1837年に反乱が起きて、1841年ロワー(下部)・カナダ(ケベック)と再統合された。1867年のカナダ連邦成立の際は分離し、オンタリオ州となった。イギリス的色彩が強く、住民の約70%がイギリス系で、フランス系は10%にすぎない。
[山下脩二]
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
オンタリオ湖の北の,カナダ政治・経済の中核的一州。アメリカ革命を逃れたロイヤリストによって1791年にイギリス帝国内のアッパー・カナダ植民地として成立し,1841年にはロワー・カナダとともに連合カナダ植民地となったが,67年のカナダ連邦結成でオンタリオ州となる。州都はトロント。連邦の首都オタワも同州に位置する。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…1841年から67年まで北アメリカ大陸に存在したイギリス植民地。現在のオンタリオ州,ケベック州の南部を版図とした。1837年のアッパー,ロワー両カナダ植民地における反乱の一つの結果として,フランス系カナダ人のイギリス系への同化吸収を目的として,二つの植民地の統合がダラム報告により勧告され,実現した。…
※「オンタリオ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新