ラーマティボディ1世(その他表記)Ramathibodi Ⅰ

改訂新版 世界大百科事典 「ラーマティボディ1世」の意味・わかりやすい解説

ラーマティボディ[1世]
Ramathibodi Ⅰ
生没年:1312-69

タイのアユタヤ朝初代の王。在位1351-69年。チエンセン王家に連なるウートンの支配者の女婿となり,義父の没後その後を襲った。伝説によれば,1347年に疫病の流行を機としてウートンを放棄し,河川交通の要衝アユタヤを都に定め新王朝の基を築いた。即位後は子のラーメスエンをロッブリーに,義兄のパゴアを西方のスパンブリー総督に配して王国の周辺を固めるとともに,北方のスコータイ,東方のカンボジアを攻めて勢力の拡大を図った。また国内には内務,宮務,財務,農務の4高官を置いて行政を担当させ,数々の法律を制定して国内秩序の確立に努めた。その勢力はラオスルアンプラバンからマレー半島西岸に及び,アユタヤは東南アジア大陸部の強国の一つとなった。1369年57歳で没すると,子のラーメスエンが王位を継いだが,ほどなく政権は伯父のスパンブリー総督ボロマラーチャーの手に移った。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ラーマティボディ1世」の意味・わかりやすい解説

ラーマティボディ1世
ラーマティボディいっせい
Rama Thibodi I

[生]1315.3.10
[没]1369. アユタヤ
タイ,アユタヤ朝第1代の王(在位 1350~69)。スコータイ朝衰勢に乗じ,マレー半島権力を拡張した最初のタイ王。スコータイ朝,北タイの諸王朝の法制慣習法などを整備して成文化し,後世のタイ法に大きな影響を与えた。

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世界大百科事典(旧版)内のラーマティボディ1世の言及

【アユタヤ】より

…メナム川水上交通の要衝であり,市街は運河水路に囲まれた島状になっている。1351年ラーマティボディ1世によって建設され,1767年ビルマ軍の攻撃によって陥落するまでの400年余にわたり,アユタヤ朝の首都として繁栄をきわめた。強大なアユタヤ朝の富は外国貿易によって築かれ,特に17世紀以降,アユタヤは東南アジアにおける最大の貿易基地となった。…

【アユタヤ朝】より

…アユタヤはメナム(チャオプラヤー),ロッブリー,パーサック3河川の合流点にあって,14世紀前半にはすでに交易の中心として繁栄していた。ここに首都を定めて新王国を創始したラーマティボディ1世(在位1351‐69)の出自については諸説がある。王は北方の要衝ロッブリーに王子ラーメースエンを派遣し,また西方のスパンブリーには義兄ボロマラーチャー(パゴア)を封じて支配領域の統合をはかった。…

※「ラーマティボディ1世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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