ロッブリー(その他表記)Lop Buri

デジタル大辞泉 「ロッブリー」の意味・読み・例文・類語

ロッブリー(Lopburi)

タイ中部の町。首都バンコク北方、ロッブリー川沿いに位置する。9世紀頃、モン族ドバーラバティー王国時代にはラウォーとよばれ、10世紀以降、たびたびクメール朝の支配を受けた。17世紀、アユタヤ朝のナーラーイ王が副都とし、当時の王宮や仏教寺院遺跡が残っている。ロプブリー

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関連語 田辺

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ロッブリー」の意味・わかりやすい解説

ロッブリー
Lop Buri

タイ南中部,チャオプラヤー川平野にある町。東岸の分流ロッブリー川に臨む。ロッブリー県の県都。7世紀からはモン族ドバーラバティー王国,10世紀頃からはクメール族の一王国の首都として栄えた。1665年からはアユタヤ朝のもとで雨季の国王居住地となったが,1782年チャクリー朝バンコクを都としたのち,しだいに衰微した。周辺は豊かな米作地帯で,米の重要な集散地。タイ有数の古都として,アユタヤ朝の王宮(考古美術館),クメール時代のパゴダ,多数の寺院,初代フランス大使アレクサンドル・ショーモン邸宅などが残っている。人口 5万4373(2000)。

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改訂新版 世界大百科事典 「ロッブリー」の意味・わかりやすい解説

ロッブリー
Lopburi

タイ中部の都市で同名県の県都。都市域人口12万2123(2002)。チャオプラヤー・デルタの北東部,メナム(チャオプラヤー川)の分流ロッブリー川沿岸に位置する。デルタの低地においては稲作が盛んであり,周辺の丘陵地にはトウモロコシワタなどの畑作が広がりつつある。14世紀ごろまでラウォLavo,あるいは中国には羅斛(らこく)として知られ,アンコール朝の属国であった。14世紀中ごろにアユタヤ朝の成立とともにその一部として吸収された。アユタヤ朝のナライ王は17世紀後半にここに都を移し,宮殿を造営した。市中には多くの寺院があり,宮殿跡は博物館となっている。第2次世界大戦後,陸軍司令部がこの地に置かれ,軍事的要衝として今日にいたっている。
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