リーベルマン論争(読み)リーベルマンろんそう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「リーベルマン論争」の意味・わかりやすい解説

リーベルマン論争
リーベルマンろんそう

1962年9月1日の『プラウダ』に発表された E.G.リーベルマン論文『計画・利潤・報奨金』に続いて巻起ったソ連社会主義の経済管理をめぐる論争利潤論争ともいう。従来のソ連計画経済は物質的財貨の生産,流通などすべての面での決定が中央計画機関で行われてきたため,企業の自主性は局限され,また経済計画が物的・数量的指標の拡大を重視したことから企業の経済計算が有効に機能せず,さらに行政機構の肥大化などの問題があった。そして 1960年代に入って表面化したソ連の経済成長の鈍化や消費財の滞貨問題に対して,リーベルマンは企業の自主性を増大させるため,物質的刺激の必要性と利潤率概念の導入による合理化の提案 (リーベルマン方式) を行なった。これに対して社会主義の計画経済において資本主義と同様の利潤を認めるか否かについて行われた論争である。ブレジネフ=コスイギン政権時代に入り,65年の中央委員会決議により経済改革案が採択され (1966実施) ,このなかにリーベルマン方式が採用されて利潤指標が導入されたが,経済管理面に厳格に制限された改革にとどまった。

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