改訂新版 世界大百科事典 「ルクソル」の意味・わかりやすい解説
ルクソル
Luxor
上エジプト,ナイル川東岸の町。人口15万3758(1996)。アラビア語ではアクスルal-Aqṣur。カルナック神殿とネクタネボス1世の銘のある人頭のスフィンクス参道で結ばれたアメン大神殿で有名。今日見られるルクソル神殿は,第12王朝時代の神殿の跡にアメンヘテプ3世が建設し,ラメセス2世が増築したもので,その後ツタンカーメン,ホルエムハブ,アレクサンドロス大王などにより小規模な変更がなされた。ここでのアメン神は肥沃多産の神で,巨大な男根を直立させたミンの姿で表される。
入口の煉瓦壁に囲まれた前庭には,タハルカ王によるハトホル礼拝堂,ハドリアヌス帝によるセラピス廟がある。神殿の正面にはラメセス2世の塔門があり,ヒッタイト軍とシリアにおいて行われた有名なカデシュの戦が刻まれている。塔門の前にはラメセス2世のオベリスク(高さ25m,赤花コウ岩)が南側だけ残されており,北側のオベリスクは1833年に搬出され,現在はパリのコンコルド広場に建てられている。またラメセス2世の巨像が6体置かれていたが,中央の2体の座像(高さ15.6m)以外はひどく毀損している。第一中庭は,2列の未開形パピルス柱の柱廊で囲まれ,中にはトトメス3世造営になり,後にラメセス2世によって再建されたテーベ三柱神の聖舟休息所があり,東側は13世紀に建てられたアブル・ハッガーグ・モスクによって占められている。それに続くアメンヘテプ3世の列柱の間は,14本の巨大な開花形パピルス柱とツタンカーメン王によるオペト祭の浮彫がみられる。毎年,2月から3月にかけて祭礼が行われ,アメン神はムート神,コンス神とともに彼に奉じられた神殿を訪問したのであった。アメンヘテプ3世の柱廊式中庭と南側は32本の柱からなる多柱室に接している。その奥はアレクサンドロス大王の礼拝堂とアメンヘテプ3世の生誕を神格化し,王位継承の正当性を示した生誕殿と至聖所よりなっている。なお,対岸には〈王家の谷〉,ハトシェプスト女王の葬祭殿などがある。エジプト有数の観光地で,カイロとは鉄道と空路で結ばれる。
執筆者:中山 伸一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報