コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

王家の谷 オウケノタニ

7件 の用語解説(王家の谷の意味・用語解説を検索)

デジタル大辞泉の解説

おうけ‐の‐たに〔ワウケ‐〕【王家の谷】

エジプト南東部の古代都市テーベ(現ルクソール)のナイル川西岸の丘陵にある新王国時代(前16~前11世紀)の王墓群。1922年にはツタンカーメンの墳墓が発掘されたことで知られる。1979年、「古代都市テーベとその墓地遺跡」の名で世界遺産文化遺産)に登録された。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

王家の谷【おうけのたに】

エジプト,テーベの北西にある谷。王陵の谷とも。古代エジプト新王国時代に入り,墳墓と葬祭殿が別に造られるようになり,ツタンカーメンの墓をはじめ,王の岩窟墳墓がここに造られているのでこう呼ばれる
→関連項目カーターテーベ

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

世界遺産情報の解説

王家の谷

ナイル川の西約4km位、ネクロポリス奥地の涸れ谷に位置する、ファラオ(王)が眠る「王家の谷」。古代エジプト人は、再生復活信仰があり、日の沈む西岸は「来世=死者の町」と信じていました。王家の谷は、ピラミッドに似た三角山がある険しい岩肌に囲まれた岩窟墓です。1922年イギリス人に新王国時代第18王朝のツタンカーメン王の墓が発見され、現在までに62の墓が発見されていますが、ツタンカーメン王以外は総て盗掘されていました。他にラムセス6世セティ1世、アメンヘテプ2世、トトメス3世などの地下墳墓がみどころです。

出典|KNT近畿日本ツーリスト(株)
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版の解説

おうけのたに【王家の谷】

上エジプトの古代都市テーベナイル川西岸にある新王国時代の王墓地。現地名はビバーン・アルムルークBibān al‐Mulūk。リビア砂漠のはずれ,ディール・アルバフリーの断崖のすぐ背後の北へ開くワーディー(涸れ谷)の奥にあり,第18王朝第3代トトメス1世から第20王朝最後の王ラメス11世まで,アマルナに王墓を造営したイクナートンを除き,すべての王墓が造営された。王墓地ではあるが,特に許された高官貴族の墓を含み,総数62基,東西二つの支谷のうち西谷の4基を除き,ほとんどが東谷にある。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

おうけのたに【王家の谷】

ナイル川中流域ルクソルの西方に位置する、エジプト新王国時代の王墓のある谷(古代都市の遺跡テーベ)。1922年ツタンカーメン王の墓が発見された。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

王家の谷
おうけのたに

王陵の谷」のページをご覧ください。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

王家の谷
おうけのたに

上エジプトのルクソールの対岸(西岸)にある、新王国時代の王たちの墓のある谷。東の谷と西の谷に分かれ、62基の墓がここで発見されている。このうち25基が王墓である。いちばん新しく発見された王墓は、1922年発見のツタンカーメン王墓。この谷に初めて王墓を築いたのは第18王朝の3代目の王トゥトメス1世で、彼は葬祭殿と墓を別々の地に築き、墓を人目につきにくい所の、地下岩盤の中に設けるという新しい設計をした。ピラミッドのように豪壮な墓は、いかに堅固でも盗掘者の手を逃れることはできないという歴史的考察からである。そのあと、第19、第20の2王朝の王がこれに倣った。王のほかに王子、王族もときとしてここに葬られた。
 大きさはいろいろだが、入口から玄室まで100メートルを超える大形のものとして、ホルエンヘブの墓(105メートル)とセティ1世の墓(110メートル)がある。玄室に達するまで、室、落し穴、通廊の組合せが続き、壁面は宗教上の文字と絵で覆われている。盗掘はすでに第20王朝に始まっていて、その裁判記録が残っている。王家はある時代には数十人の王のミイラをまとめて1か所の隠し場に再埋葬までした。盗掘は休むことなく現代にまで続いた。そのため19世紀に考古学者が墓に入ったとき、墓はすべて荒らされたあとであった。ほぼ無傷だったのはツタンカーメン王墓ただ一つである。この谷は1979年に「古代都市テーベ(ルクソール)とその墓地遺跡」として、世界遺産の文化遺産に登録されている(世界文化遺産)。なお、1903年にここから2体の女性のミイラが発見されていたが、2007年にエジプト考古庁はそのうちの1体をDNA鑑定により第18王朝5代目の女王ハトシェプストと特定したと発表した。[酒井傳六]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内の王家の谷の言及

【エジプト美術】より

…これは防御用の塔をつけたがんじょうな城壁や空濠で守られ,内部は直線のメーン・ストリートを軸に司令部,神殿,兵舎,倉庫などが整然と配置されていた。
[新王国時代]
 第18王朝から王墓はテーベ西岸の山中にある〈王家の谷〉の岩山の中にひそかに掘りこまれ,葬儀や供養は山を隔てて別に建てられた葬祭神殿で行われた。王墓はいくつかの広間をへて地底深くのびる廊下の奥にあり,石棺や副葬品を納める諸室があった。…

※「王家の谷」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

王家の谷の関連キーワードネクロポリスエクメノポリス東海道メガロポリスミトロポリス大聖堂アクロポリウムロポリス的シルアクロポリス〈ロードス〉クサントスのネクロポリスクロコディロポリスヘテロポリ酸

今日のキーワード

パラチオン、パラチオンメチル

パラチオンは無色で油状の液体、パラチオンメチルはコハク色の液体。ともに毒性が強く、有機リン系殺虫剤として使用された。50年代以降、稲の害虫被害を防ぐことが確認され、広く導入された。しかし、農民の中毒死...

続きを読む

コトバンク for iPhone

王家の谷の関連情報