レレベル(その他表記)Joachim Lelewel

改訂新版 世界大百科事典 「レレベル」の意味・わかりやすい解説

レレベル
Joachim Lelewel
生没年:1786-1861

ポーランドの歴史家,政治思想家。レレウェルとも呼ぶ。1815-24年ビルノ大学歴史学教授。民族主義的な学生組織と関係したとの理由で大学を追われる。ワルシャワに移り,十一月蜂起(1830-31)に参加。国民政府の一員となり,〈愛国協会Towarzystwo Patriotyczne〉会長に就任。穏健派の頭目として蜂起の方針に大きな影響を及ぼす。蜂起敗北後パリに亡命。〈ポーランド国民委員会〉〈人民復讐〉を組織。独立回復,共和政府樹立を目ざして国内にゲリラ部隊を送り込むが果たさず,33年ブリュッセルに亡命。マッツィーニにならって〈青年ポーランドMłoda Polska〉党をつくる。37年中央派的な〈ポーランド人亡命者連合〉を結成。46年左派の〈ポーランド民主主義協会〉に合流。47年カール・マルクスとともに〈国際民主主義協会〉副会長に就任。48年以降はしだいに政治活動から身を引いた。最初のポーランド通史《平易に物語ったポーランド史》(1829)を著す。後世の社会・政治運動,歴史研究への影響は大きい。
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関連語 伊東

日本大百科全書(ニッポニカ) 「レレベル」の意味・わかりやすい解説

レレベル
れれべる
Joachim Lelewel
(1786―1861)

ポーランドの歴史家、民主主義者。『歴史学』Historyka(1815)でポーランド近代史学の基礎を確立。1815~24年にウィルノ大学などで世界史を講じ、共和主義思想によって青年層に影響を与えた。30~31年の対ロシア蜂起(ほうき)時には、国民政府のメンバーに選ばれ、蜂起左派を代表した。蜂起の敗北後、フランス、ついでベルギーに亡命し、ヨーロッパの左翼勢力と連絡し、本国の地下活動を指導した。同時に歴史研究に基づいて、専制政治に対する共和政・民主政の優越性を主張し、ポーランドの民主主義勢力の思想形成に影響を与えた。47年には国際民主主義協会の副議長に選出されたが、49年以降は政治活動から引退し、学術研究に専念した。

[安部一郎]

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