ンコモ(その他表記)Nkomo,Mqabuko Joshua

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ンコモ」の意味・わかりやすい解説

ンコモ
Nkomo,Mqabuko Joshua

[生]1917.6.19. ローデシア(現ジンバブエ),マタベレランド
[没]1999.7.1. ジンバブエ,ハラレ
ジンバブエの代表的な民族主義指導者。マタベレ族の農民の子として生れ,南アフリカへ渡り,アダムス・カレッジ,南アフリカ大学に学んだ。 1951年ローデシア鉄道労働組合書記長。ローデシア=ニアサランド連邦創設には反対の立場をとった。 57年9月アフリカ民族会議 ANC総裁となり,民族主義運動を指導。 58年 12月第1回全アフリカ人民会議に出席。 59年5月 ANCが非合法化されるとロンドンに亡命し,60年1月に民族民主党が組織されるとその国際部長兼ロンドン事務局長に,次いで同年 10月同党総裁に就任。 61年 12月同党非合法化の直後に組織されたジンバブエ・アフリカ人民同盟 ZAPU議長に選出された。 62年3月ローデシア問題に関する国連特別委員会に出席して連邦の解体と多数支配による完全独立を同年末までに達成するよう求めた。 63年逮捕されたが,74年 12月釈放され,同月ルサカで開かれたローデシア制憲予備会議に解放勢力代表団の一員として出席。 76年 10月 R.ムガベジンバブエ・アフリカ民族同盟 ZANUとともに愛国戦線 PFを組織し共同議長となった。同年 10~12月のローデシア制憲問題ジュネーブ会議では中心的役割を演じた。同会議無期休会後は武装闘争と交渉の二面作戦を巧みに展開。 77年7月アフリカ統一機構 OAUから愛国戦線がローデシアの解放勢力を代表する唯一の組織と認められる。 80年2月 27~29日の総選挙では 100議席中 (黒人 80,白人 20) ムガベの ZANUは 57議席,ンコモの ZAPUは 20議席を獲得し,同年4月 18日ジンバブエの独立を達成した。独立後はムガベ政府の内相,無任所相をつとめたが,82年2月に解任。 88年1月に政府に復帰して,90年副大統領に就任した。

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