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アンゴラ民族解放戦線 アンゴラみんぞくかいほうせんせんFrente Nacional de Libertação de Angola; FNLA

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

アンゴラ民族解放戦線
アンゴラみんぞくかいほうせんせん
Frente Nacional de Libertação de Angola; FNLA

アンゴラの解放組織。1957年に創設されたアンゴラ北部人民同盟 UPNA(1958.12.アンゴラ人民同盟 UPAと改称)を母体として,1962年3月コンゴ共和国のレオポルドビルに創設された。主としてバコンゴ族に基盤をもち,1961年3月以降北部地方で対ポルトガル武装解放闘争を展開。1963年4月レオポルドビルに亡命,アンゴラ共和国臨時政府 GRAEを樹立し,ホールデン・ロベルトが首相に就任。1964年6月にコンゴによって承認され,アフリカ統一機構 OAU解放委員会の支援を受けるにいたったが,同年11月にはその支援は,競合する解放組織アンゴラ解放人民運動 MPLAに向けられ,チョンベ政権下のコンゴでは GRAE自体が非合法化された。1965年11月コンゴでモブツ政権が成立すると GRAEは再び合法化され,以後モブツ政権,中国などの支援を受けて解放闘争を推進。1975年1月,MPLA,アンゴラ全面独立民族同盟 UNITAとともに連合政府の樹立に合意したが,同年中頃から本格的内戦が勃発。UNITAと連合して MPLAと戦いつつ,11月11日アンゴラ民主人民共和国の樹立を宣言したが,アメリカ合衆国,中国の軍事援助が中途で打ち切られたため,1976年2月には敗戦が確定。以後 FNLAの影響力は著しく弱まり,アンゴラの政治舞台からほとんど姿を消した。1992年9月に実施されたアンゴラ初の複数政党制議会選挙では 220議席中 5議席を得たのみで,大統領選挙でもロベルト党首が 2.4%の得票率で敗北した。(→アンゴラ内戦) 

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