イス・テムル(玉昔鉄木児)(読み)イス・テムル(英語表記)Yisü Temür

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説

イス・テムル(玉昔鉄木児)
イス・テムル
Yisü Temür

[生]元,脱列哥那1(1242)
[没]元貞1(1295)
中国,元の功臣モンゴルアララト (阿魯剌特) 族出身。諡は貞憲。中書省官吏の間で左丞相にとの要望があったが,世祖フビライ・ハン風紀を取締る風憲の長として重用。至元 24 (1287) 年ナヤン (乃顔)の乱鎮定親征軍に従い,モンゴル兵を統べ,反軍遼河に破り,翌年残党ハダン (哈丹)を黒竜江に討平。同 31年成宗の北辺駐軍に従い輔佐となる。成宗を父チンキム (真金) を継いで皇太子とするよう世祖に請い,受納された。これを根拠に世祖没後成宗の即位を,対立候補の成宗の長兄晋王に認めさせた。その功により太師に進む。広平王に追封された。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android