第88代に数えられる天皇。在位1242-46年。土御門天皇の第2皇子。名は邦仁。母は土御門通宗の女源通子。誕生後1年にして母を亡くし,ついで承久の乱のため父上皇と生別,祖母の承明門院源在子に養育されたが,1242年(仁治3)四条天皇の急死の後をうけて,幕府の推挙により皇位についた。すでに23歳になっていた天皇は,進んで政務に精励したが,在位わずか4年で位を後深草天皇に譲り,以後,後深草・亀山2代にわたって院中に政務を親裁した。譲位後まもなく,京都政界の首領九条道家が名越光時の乱に関連して失脚したのを機に朝政の刷新を図り,西園寺実氏を関東申次として朝幕間の緊密化を図るとともに,院中に5人の評定衆を置いて,月6度の評定に親臨し,2人の伝奏を任じて隔日に出仕させ,諸司,諸人の申請,訴訟を奏上させて裁断する体制を作りあげた。この評定と奏事を柱とする執政方式は,27年間にわたる上皇の院政のもとで定着し,多少の手を加えながらも,基本的には以後の公家政権に引き継がれた。また幕府の要請をいれて皇子宗尊親王を将軍として鎌倉にくだし,朝幕の提携を強化した。宮将軍の初めである。こうして上皇の治世は平穏な空気につつまれ,政務のかたわら管絃,蹴鞠等に興じ,ことに和歌をよくして,《続後撰和歌集》《続古今和歌集》の2勅撰和歌集を撰集させ,いまに残る御製は200首を超える多数にのぼっている。また深く仏教を信じ,ついに68年(文永5)亀山殿において落飾し,法名を素覚と称した。しかしこの年蒙古より日本招撫の国書がもたらされ,迫りくる国難に心を痛めながら,文永9年2月17日亀山殿別院寿量院で没した。これに先だち遺領を処分したが,〈治天の君〉の選定を幕府にゆだねて,明確な意思を表明しなかったため,のちに持明院・大覚寺両統の分立を生む結果を招いた。遺勅により後嵯峨院と追号。陵所は京都の嵯峨南陵。
執筆者:橋本 義彦
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第88代天皇(在位1242~46)。名は邦仁(くにひと)。法名素覚。土御門(つちみかど)天皇の第3皇子。母は贈皇太后源通子(みちこ)。四条(しじょう)天皇が急死したのち、鎌倉幕府の推戴(すいたい)によって思いがけず皇位についた。1246年(寛元4)皇位を嫡子の後深草(ごふかくさ)天皇に譲って院政をみたが、59年(正元1)次子の亀山(かめやま)天皇が皇位についたのちも院政を続けた。68年(文永5)出家し、文永(ぶんえい)9年2月17日没す。御陵は京都の嵯峨南陵。天皇は崩御に先だち御書を幕府に遣わし、将来の皇位は後深草、亀山両流のいずれとも定めず、幕府の推挙にまかせるとの旨を伝えたが、これがのちに原因となり、両統迭立(てつりつ)、両統両立(南北朝)紛争の基となった。
[村田正志]
1220.2.26~72.2.17
在位1242.1.20~46.1.29
土御門(つちみかど)天皇の皇子。名は邦仁(くにひと)。母は源通宗の女通子。1242年(仁治3)四条天皇が没し,九条道家は順徳上皇の皇子を推したが,幕府は上皇が承久の乱に関与していたため拒絶し,北条泰時の妹婿源定通に推されて皇位についた。46年(寛元4)後深草天皇に譲位して院政を始め,幕府の指導のもとで院の評定制など鎌倉後期の公家政治の基礎をつくった。道家の失脚後は摂家将軍にかえて皇子宗尊(むねたか)親王を鎌倉に送り,親王将軍の先駆けとした。その後,後深草天皇に命じて亀山天皇に譲位させたが,どちらを正嫡とするかを幕府に委ねたまま没し,両統迭立(てつりつ)問題の発端をつくった。
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…鎌倉時代後半,天皇家が後深草天皇系(持明院統)と亀山天皇系(大覚寺統)の両統に分裂して皇位継承を争った時期に,妥協策として両統から交互に皇位につくとされた原則。後嵯峨法皇は第3子後深草上皇よりも第7子亀山天皇を愛し,後深草の皇子熙仁親王を退けて亀山の皇子世仁親王を皇太子に立てたが,承久の乱(1221)後鎌倉幕府が皇位継承問題に干渉することが多く,それを顧慮した後嵯峨法皇は死に際して後深草,亀山のいずれを〈治天の君〉(天皇家の惣領)とすべきかの決定を幕府の指示にゆだねた。…
※「後嵯峨天皇」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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