ウェストサイド物語(読み)ウェストサイドものがたり(英語表記)West Side Story

改訂新版 世界大百科事典 「ウェストサイド物語」の意味・わかりやすい解説

ウェスト・サイド物語 (ウェストサイドものがたり)
West Side Story

ミュージカルの歴史を変えた画期的なアメリカ映画。1961年製作。歌と踊りの芸を楽しむ軽快な〈ミュージカルコメディ〉から重厚な主題とスタイルをもつドラマチックな大作ミュージカルの時代に移行するきっかけをつくった。シェークスピアの《ロミオとジュリエット》の物語を,ニューヨークスラム街に移してミュージカル化した同名のブロードウェーのヒット・プレー(レナード・バーンスタイン作曲,スティーブン・ソンダイム作詞で,1957初演)の映画化。舞台と同じジェローム・ロビンズが振付を担当し,ロバート・ワイズとともに共同監督。ロケーションによるミュージカルはすでに《踊る大紐育》(1949)や《オクラホマ!》(1955)などでも試みられていたが,6週間にわたるニューヨーク・ロケを敢行したこの映画から,〈街中へ出たミュージカル〉の流れが始まる。スニーカーで跳びはねる若者たちの動きをダイナミックにとらえたカメラワーク,集団による戦闘的なモダン・バレエの躍動をアクション映画に近い方法で追った斬新な試み,セット撮影によるミュージカルコメディの明るさや清潔感に対して,汗とほこりにまみれた現実の人間の生活感をむき出しにしたリアリズム感覚,ドラマや主題を表現するための振付,そしてシリアスな社会的テーマ(人種差別の問題)を描き,監督のスタイルによって振付を寸断,編集を中心につくる等々の点でミュージカルに〈新しい時代〉を開いた。このよきにつけあしきにつけ〈映画的〉な演出はブロードウェー出身の振付師ボブ・フォッシー監督の《スイート・チャリティ》(1968),《キャバレー》(1972),《オール・ザット・ジャズ》(1979)や,テレビ出身のノーマン・ジュイソン監督の《屋根の上のバイオリン弾き》(1971),《ジーザス・クライスト・スーパースター》(1973)等々に引き継がれるとともに,70年代以降のロックミュージカルにとつらなる。《トゥナイト》《マリア》などのヒット曲はすべて舞台のオリジナル曲。映画では主役の2人(リチャード・ベイマーとナタリー・ウッド)の声を吹き替えている。

 日本ではロードショーで1年半近くロングラン。Tシャツが流行し,不良少年グループのリーダー役ジョージ・チャキリスが着ていた紫がブームを呼んだ。この大ヒット以後,日本にミュージカルブームが起こり,〈運動靴ダンス〉を基盤としたミュージカル熱が1960年代以降高まった。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のウェストサイド物語の言及

【ミュージカル】より

…これまでのミュージカルの演出はどちらかといえばせりふ劇もこなせる演出家が手がけることが多かったが,このころから振付師が演出する例がしだいに増えてきた。その代表的人物はJ.ロビンズであり,決定的な作品はおそらく,シェークスピアの《ロミオとジュリエット》を現代化するという彼の案によって,L.バーンスタインが曲,ソンダイムStephen Joshua Sondheim(1930‐ )が詞を作った《ウェスト・サイド物語》(1957)であろう。これは日常行動の多くを踊りにするという意味で,バレエに接近した作品であった。…

【ロビンズ】より

…44年L.バーンスタインの音楽でバレエ《ファンシー・フリー》を初めて振付け大成功をおさめた。49‐59年,ニューヨーク・シティ・バレエ団(シティ・バレエ)の芸術監督補佐として,ストラビンスキーの音楽による《檻(おり)》(1951),ドビュッシーの音楽による《牧神の午後》(1953)などを振付け,57年にはバーンスタインの音楽によるブロードウェー・ミュージカル《ウェスト・サイド物語》の振付で,世界的な名声を得た。58年と61年のスポレート音楽祭出演のために〈バレエUSA〉を創立したが,長続きせず,69年〈シティ・バレエ〉に復帰した。…

※「ウェストサイド物語」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」