エドワード2世(その他表記)Edward Ⅱ

改訂新版 世界大百科事典 「エドワード2世」の意味・わかりやすい解説

エドワード[2世]
Edward Ⅱ
生没年:1284-1327

プランタジネット朝イングランドの王。在位1307-26年。即位前の1297年,父王エドワード1世の不在時(フランドル滞在中)に摂政として〈大憲章の確認〉を発布した。即位ののちは生来の性格の弱さもあって寵臣貴族による政治を許したり,スコットランドとの戦いに敗れるなど,不穏な情勢が続いた。晩年は王后イザベラと貴族モーティマーRoger de Mortimerらによって王位を追われ(1326),翌年バークリー城で暗殺された。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「エドワード2世」の意味・わかりやすい解説

エドワード2世
エドワードにせい
Edward II

[生]1284.4.25. ウェールズ,カーナボン
[没]1327.9.21. ブリストル,バークリー城
イギリス,プランタジネット朝のイングランド王 (在位 1307~27) 。エドワード1世の第4子。ウェールズ生れであることからプリンス・オブ・ウェールズの称をもった最初の皇太子。即位後,父王の命で追放されていた騎士 P.ギャビストンを呼戻し,信任するなど失政多く,対スコットランド戦争の失敗などにより,王妃イザベルや貴族の反抗招き,捕えられて廃位され,バークリー城で死んだが,殺されたらしい。

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367日誕生日大事典 「エドワード2世」の解説

エドワード2世

生年月日:1284年4月25日
イングランド王(在位1307〜27)
1327年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のエドワード2世の言及

【歴史劇】より

…しかしルネサンスになると,本格的な歴史劇が数多く誕生する。イギリスでは,まず,クリストファー・マーローの《エドワード2世》と《パリの虐殺》を挙げねばならない。前者では自国の歴史が,後者ではフランスの歴史的事件が描かれた。…

【プランタジネット朝】より

…別にアンジューAnjou朝ともいう。イングランド中世のほぼ全時代を支配したが,14世紀初頭のエドワード1世の治世の終りをもって前期と後期に分けられる。
[前期]
 プランタジネット朝はスティーブン王の内乱時代の後をうけてヘンリー2世(在位1154‐89)の即位とともに始まるが,彼は父方よりアンジュー,メーヌ,トゥーレーヌを,母方よりノルマンディーを,また王妃エレアノール(もとフランスのルイ7世の王妃)よりアキテーヌを得て広大な〈アンジュー帝国〉の主君たる地位を占めた。…

※「エドワード2世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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