プランタジネット朝(読み)プランタジネットちょう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「プランタジネット朝」の意味・わかりやすい解説

プランタジネット朝
プランタジネットちょう
Plantagenet Dynasty

イギリス王朝 (1154~1399) 。フランスのアンジュー伯ジョフロアの子ヘンリー2世 (在位 1154~89) が始祖 (母はイングランド王ヘンリー1世の娘マティルダ) 。アンジュー家 (朝) ,アンジュバン家 (朝) とも呼ばれるが,家紋の「エニシダ」 (ラテン名 Planta Genista) にちなんでこの称があるという。ヘンリー2世はフランス内にも広大な領土を有し,また多数の法令を発布して王権伸張,次いでその子リチャード1世 (在位 89~99) は対フランス戦争,第3次十字軍に参加して武名を揚げたが,不在が多く,国内動揺の因をなした。その弟ジョン (在位 99~1216) は対フランス戦争でフランス内領土の大半を失い,ローマ教皇インノケンチウス3世と争って屈服するなど失政が多く,国内貴族は『マグナ・カルタ』を王に認めさせ,王権は大いに失墜した。その子ヘンリー3世 (在位 16~72) も失政が多く,貴族の内乱を招き,彼らは議会を開いて王権の制限を試みた。議会制度はその子エドワード1世 (在位 72~1307) ,その子エドワード2世 (在位 07~27) ,さらにその子エドワード3世 (在位 27~77) の時代,順調に発展した。またエドワード3世時代には対フランス百年戦争起り,その子エドワード (黒太子) が武名を揚げたが病死し,王位は黒太子の子リチャード2世 (在位 77~99) に引継がれた。しかし専制のため貴族の不満を招き,ランカスター家のヘンリーが王を捕えて退位させ,みずからヘンリー4世として即位したので,プランタジネット朝支配は終った。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「プランタジネット朝」の意味・わかりやすい解説

プランタジネット朝
ぷらんたじねっとちょう

アンジュー伯ヘンリー(2世、在位1154~89)がイギリス王に即位して開いたイギリス王朝(1154~1399)。アンジュー朝ともいう。プランタジネットPlantagenetの名は、ヘンリー2世の父アンジュー伯ジェフリー(ジョフロア)がエニシダ(ラテン語プランタ・ゲニスタplanta genista)の小枝を冑(かぶと)に挿していたことに由来する。アンジュー、ノルマンディー地方のほかブルターニュ、アキテーヌ地方などフランスの西半分をも領土として一連の行政改革を行ったヘンリー2世に始まる。のち、十字軍遠征に出て長くイギリスを留守にしたリチャード1世(獅子(しし)心王、在位1189~99)、ガスコーニュを除く大陸領の大半を失い「マグナ・カルタ」に署名させられたジョン王(在位1199~1216)、シモン・ド・モンフォールら貴族の大反乱をみたヘンリー3世(在位1216~72)、一連の制定法を発布して封建社会を秩序づけたエドワード1世(在位1272~1307)、専制政治を批判され退位させられたエドワード2世(在位1307~27)、百年戦争を始めたエドワード3世(在位1327~77)、ワット・タイラーの農民一揆(いっき)を抑えたリチャード2世(在位1377~99)と続いた。その後のランカスター、ヨーク両朝はエドワード3世から出た分家である。

[富沢霊岸]


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