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オボテ Obote, (Apollo) Milton

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

オボテ
Obote, (Apollo) Milton

[生]1924.12.28. ウガンダ,ランゴ
[没]2005.10.10. 南アフリカ共和国,ヨハネスブルク
ウガンダの政治家。 1948年カンパラのマケレレ・カレッジに入ったが,在学中の政治活動が災いして中退。 1950年ケニアに移って,ケニア・アフリカ人同盟 KAUの創設に参加。 1957年ウガンダに戻って,1960年ウガンダ人民会議 UPCを設立。 1962年ウガンダが独立,首相に就任し,1963年ムテサ2世を初代大統領に推した。 1966年ムテサ2世を追放し,大統領に。 1971年イディ・アミン将軍のクーデターで追放され,タンザニア亡命。 1972年アミン政権打倒の軍を起こしてタンザニアから攻撃をかけたが失敗 (→タンザニア=ウガンダ紛争 ) 。 1979年ウガンダ民族解放戦線 UNLFがタンザニア軍の支援を得てアミン政権を打倒したのちに復権,1980年の選挙で UPCが勝利し再び大統領に就任した。しかしその後もウガンダ愛国運動 UPMの反政府ゲリラ闘争などで政治的混乱が続き,1985年にバシリオ・オケロ准将率いる反乱軍が首都カンパラを制圧,オボテはザンビアへ亡命した。

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百科事典マイペディアの解説

オボテ

ウガンダの政治家。1960年ウガンダ人民会議(UPC)を結成して総裁となり,1962年独立とともに初代首相。1966年ムテサ王を廃して大統領となったが,1971年クーデタが起こり,タンザニアに亡命。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

オボテ
おぼて
Apollo Milton Obote
(1924―2005)

ウガンダの政治家。北部のランゴに生まれる。マケレレ大学卒業後ケニアで働き、ケニア・アフリカ人同盟(KAU)に参加。1956年帰国し、ウガンダ国民会議(UNC)に参加した。1957年ウガンダ立法評議会議員となり、1960年ウガンダ人民会議(UPC)を結成。1962年10月、立憲君主国として独立とともに首相に就任、1966年国王ムテサ2世を追放して大統領となる。1971年外遊中アミンのクーデターにより失脚、タンザニアに亡命。1978~1979年のタンザニアとの戦争でアミンが失脚したのち、1980年選挙で再度大統領に復帰した。オボテは国際通貨基金(IMF)の支援する経済再建計画を実施したが、国内の反オボテ勢力の抵抗にあい、1985年オケロBasilio Olara Okello(1929―1990)の率いる反政府軍が首都カンパラに侵攻、オボテはケニア、ついでザンビアに亡命した。2005年南アフリカのヨハネスバーグにて死去。[林 晃史]
『Kenneth Ingham Milton Obote(1994, Routledge, London & New York)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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