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オムリ Omri

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

オムリ
Omri

イスラエル王国の王 (在位前 884~876) 。旧約聖書では好ましからぬ人物として描かれている。王エラを殺害したジムリを攻め,これを倒したが,そのあとテブニが立ち,イスラエルは2つの陣営に分れて争った。テブニの死により王として即位。都をテルザからサマリアに移し,オムリ朝の基礎を固め,国威を周囲の諸国に示した。アッシリアの碑文にその名が多く刻まれており,その名声が想像される。

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世界大百科事典 第2版の解説

オムリ【Omri】

イスラエル王国の王。在位,前878‐前871年。軍の指揮官として,軍の長ジムリの謀反と国内の他の対抗勢力を平定後,モアブを掌中に収め,ユダ王国とは和を講じた。また経済の先進地域フェニキアのテュロスの王イトバアルと通商関係を結び,その娘を息子のアハブにめとらせるなどの手段を通じて,国内の政治,軍事,経済の目覚ましい再編成を行い,オムリ王朝(アッシリアの碑文では〈フムリの家〉)の基礎を築いた。【並木 浩一】

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世界大百科事典内のオムリの言及

【イスラエル】より

…しかし,200年間に8回の王位簒奪が起こり,次々と王家が交代したため,政治的安定はいつも短期間で終わった。前9世紀前半に,オムリはサマリアに王都を定め,南ユダ王国と和解し,フェニキア人と同盟を結んで政治的安定と経済的繁栄をもたらした。しかし,それとともにイスラエルに浸透したフェニキアのバアル礼拝に対する激しい抵抗が起こった。…

【イスラエル王国】より

…ヤラベアム家はわずか2代で滅ぼされ,新王朝を創立したバアシャBaashaも,南北からユダ王国とダマスクスのアラム人に攻められてその支配力が弱体化したため,2代しか続かなかった。このあと,王位をめぐって数年間内乱が続いたが,前878年オムリが王になった。オムリはサマリアに王都を定める一方,ユダ王国と平和条約,フェニキア人と通商条約を結んで,北王国に初めて安定した王朝を建てることに成功した。…

【エリヤ】より

…前9世紀の半ばに登場した古代イスラエル民族の預言者。オムリ王朝を築いたオムリは,サマリアを都とし,フェニキアと同盟し,その子アハブの王妃として,シドンから王妃イゼベルJezebelをめとらせた。イゼベルはフェニキアの主神バアルをイスラエルに導入し,ヤハウェ宗教を迫害した。…

※「オムリ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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