オンシアター自由劇場

デジタル大辞泉プラス 「オンシアター自由劇場」の解説

オンシアター自由劇場

日本の劇団前身は、1966年に佐藤信を中心に結成された「自由劇場」。当初、東京都港区西麻布の劇場を拠点として活動していた同劇団は、1968年以降、演劇集団「演劇センター」の活動に参加。1971年以降、同集団はテント公演に活動を絞る佐藤信らのグループ(のちの劇団黒テント)と、かつての活動拠点であった劇場「アンダーグラウンド・シアター自由劇場」に戻るグループに分裂。劇場に戻った串田和美、吉田日出子らのグループは、1975年4月以降、「オンシアター自由劇場」の劇団名で活動するようになる。代表作に「もっと泣いてよフラッパー」「上海バンスキング」など。1989年、串田が渋谷Bunkamuraの劇場シアター・コクーン芸術監督に就任すると同時に同劇場とフランチャイズ契約を結び以後は同劇場を活動拠点とした。1996年、串田の芸術監督としての任期満了をもって解散。旧拠点劇場の六本木・自由劇場も、同年7月のお別れ公演「ダム・ウェイター」をもって閉鎖された。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「オンシアター自由劇場」の意味・わかりやすい解説

オンシアター自由劇場
オンシアターじゆうげきじょう

劇団名。1971年に自由劇場が解散したのち,演出家串田和美が女優吉田日出子らとプロデュース公演を始め,1975年4月オンシアター自由劇場として旗揚げした。主宰者は串田。1979年初演の斎藤憐作『上海バンスキング』が大ヒットし,人気を集めた。1989年,串田が Bunkamuraの劇場シアターコクーンの初代芸術監督に就任するのに伴い,劇団も同劇場とフランチャイズ契約を結び,以後,多彩な音楽劇を上演した。1996年,串田の芸術監督としての任期満了とともに解散した。

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