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自動車工業 じどうしゃこうぎょう

百科事典マイペディアの解説

自動車工業【じどうしゃこうぎょう】

各種四輪自動車のほか二・三輪自動車,部品類,車体などを製造する工業であるが,製造技術や生産規模などから乗用車工業が主体をなす。その産業的特質の第1は総合工業であることで,原材料は鉄鋼・化学など広範な産業分野から供給され,重要部品を供給する電機工業や生産手段を提供する工作機械工業などの存在も不可欠である。
→関連項目自動車

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

自動車工業
じどうしゃこうぎょう

自動車を製造する工業。自動車は19世紀末にドイツで発明され、フランス、イギリスで育成されて、アメリカで発展した。アメリカ・フォード社が1908年にT型フォードを開発、その量産のための流れ作業による生産方式、いわゆるフォードシステムによって、自動車工業は近代国家における産業としての地位を確立した。[水川 侑]

国民経済上の地位

自動車は、貨物や旅客を輸送する生産手段としての性格と家庭用耐久消費財としての性格をもっている。この二面性のために、一面で鉄道、内航船舶、国内航空などの交通手段と競合し、他面で個人が購入するもっとも高価な商品(住宅を除く)であることによって、国民経済上重要な地位を占めている。
 わが国における貨物輸送実績をみると、総輸送量に占めるトラックの割合は、1975年度(昭和50)で87%(営業用25%、自家用62%)、1997年度(平成9)には91%(営業用42%、自家用49%)である。他方、旅客輸送実績における総輸送量に占める自動車の割合は、1975年度61%(乗用車38%、バス23%)、1997年度73%(乗用車53%、トラック11%、バス9%)である。自動車が貨物・旅客輸送の面で重要な役割を果たしていることが、これらの数値から明らかである。
 また、自動車は2万~3万点の部品で組み立てられる総合組立工業を形成していて、ここで使用される主要な材料や部品は多種多様にわたっている。そして自動車工業は製造部門、販売・整備部門をはじめとして、資材部門(電気機器業、塗料・プラスチック・ゴム・ガラス業など)、利用部門(貨物・旅客運送業、駐車場業など)、関連部門(ガソリンスタンド、金融・保険業など)等の広範な関連産業をもっており、これらの産業に直接・間接に従事する就業人口は、1997年度で約734万人(製造部門91万9000人、販売・整備部門129万2000人、資材部門98万9000人、利用部門303万4000人、関連部門110万4000人)で、わが国の全就業者人口の1割になる。このゆえに、自動車工業の動向あるいは盛衰は国民経済全体に大きな影響を及ぼすことになる。[水川 侑]

世界の自動車工業

第二次世界大戦までの自動車工業は、北米とヨーロッパ(イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、ロシアなど)において発展した。生産台数の推移でみると、北米では1929年に500万台を達成したが、大恐慌で生産はいったん400万台に後退し、1937年にふたたび500万台に回復した。ヨーロッパでは1935~37年ごろ最高水準(100~130万台程度)に達した。したがって、1935~37年ごろの世界の生産台数は630万台程度で、今日の水準と比べると12%弱の規模でしかなかった。
 第二次世界大戦後の自動車生産は、北米とヨーロッパにアジアと中南米を加えた、より広範な地域で行われるようになった。1950年においては、北米と西ヨーロッパが全生産の94%(うち北米79%)を独占し、アジアは0.4%、中南米は0.2%にすぎなかった。その後、西ヨーロッパ、アジアおよび中南米の経済が発展するに伴って、1970年における地域別生産シェアは北米32%、西ヨーロッパ39%、東ヨーロッパ5%、アジア19%、中南米3%、オセアニア2%となった。1998年には、北米28%、西ヨーロッパ32%、東ヨーロッパ4%、アジア28%、中南米7%、オセアニア・アフリカ1%で、アメリカ大陸地域35%、ヨーロッパ地域35%、アジア地域30%という状況である。世界の生産台数が1950年比で2倍になった1964年(2172万7000台)と3倍になった1971年(3342万4000台)の間に、自動車先進国である欧米は「成長の屈折」を経験した。アメリカは1965年に1112万台を達成するが、それ以降1998年まで800~1200万台で停滞する。ドイツは1966年に305万台に、その後10年間は300万台で、1982年以降400万台で停滞する。イギリスは1963年に200万台に、その後1980年代前半にかけて停滞と後退、1987年ごろから回復徴候を示している。フランスは1971年に300万台に、それ以降この水準で停滞する。イタリアは1970年に185万台に、それ以降150~220万台で停滞する。このように欧米が成長の屈折を経験したのは、乗用車の世帯当り普及率が50~60%に達した時点であった(1966年の乗用車保有台数1台当り人口は、フランス5.1人、イギリス5.6人、ドイツ5.7人。1968年は、それぞれ、4.5人、5.5人、5.0人。1966年の1人当り国民所得は3国とも1500ドル台)。
 先進国の生産が停滞する一方で、後発国である日本、韓国、スペイン、ブラジルおよびオーストラリアが生産を拡大した。しかし、オーストラリアは1965年40万台、1974年49万台と発展したが、以降は停滞している。またブラジルは1980年までは拡大するが、それ以降シェアは3.0%で停滞状態にある。一方、スペインは拡大基調を持続して、1998年には280万台(シェア5.3%)を生産して、ほぼフランスと肩を並べている。韓国は1970年代なかば以降急成長して、1996年に280万台(シェア5.5%)に達している(1998年のシェア3.7%)。とりわけ日本は、朝鮮特需をばねに1973年の708万台に至るまで爆発的な急成長を遂げて存在感を示した。この間に、日本は西ヨーロッパの自動車先進国を追い越し、1967年に世界第2位の生産国になった。1980年にアメリカを抜き、1994年にアメリカに逆転されるまで第1位の地位にあった。
 日本も1973年(昭和48)に乗用車保有台数が1447万台(自動車全体の保有台数は2500万台)に達し、普及率が50%の国際的成長屈折点(1968年の乗用車保有台数1台当り人口は19.4人、1970年11.8人、1975年6.4人、1980年4.9人。1970年の1人当り国民所得1658ドル)に達すると、それ以降1980年代なかばまで内需は停滞した。ところが、オイル・ショックを契機に開発された燃費効率のよい、しかも低公害の日本車に対する需要が旺盛となって、輸出は1973年の206万8000台(うち乗用車145万1000台)から1985年の673万台(同、442万7000台)へ、12年間に2.3倍弱の466万2000台(同、297万6000台)も増加した。日本の輸出増大は、米欧との間に貿易摩擦を引き起こすことになり、1981年度から輸出自主規制、1982年以降現地生産を実施せざるをえなくなった。このような環境変化と1992年(平成4)以降の内需不振(販売台数は1992年696万台、1995年687万台、1998年588万台と減少)で、日本の企業は厳しい環境のなかで生き残りをかけて戦わなければならなくなった。[水川 侑]

寡占化と国際化

地域別生産状況をみると、北米の世界生産高に占める割合は1950年の79%から1998年の28%へと51%も低下した。このことは逆に北米以外の地域で自動車工業が発展したことを意味する。その発展に大きな貢献をしたのは先進国の企業であった。自動車工業は初期の急成長のあと、普及率が高まって、国内需要が停滞局面に入ると、あるいは量的に成熟段階に入ると、企業は価格支配力を高めて高利潤を獲得しようと図る。そのため景気後退が契機になって企業の合併・買収、あるいは企業の倒産によって寡占状態が形成される。大恐慌を契機に1930年代後半にはドイツでは自動車メーカーが27社から17社に、フランスでは90社から20社に、イギリスでは100社から40社に、アメリカでは23社から11社に減少した。そしてアメリカのビッグスリー(ゼネラル・モーターズ=GM、フォード、クライスラー)やドイツのビッグファイブ(ドイツ・フォード、アダム・オペル、BMW(ベーエムベー)、ダイムラー・ベンツ、フォルクスワーゲン=VW)の寡占体制が構築された。他面では、輸出や海外への資本進出=現地生産などで国際化が進められた。
 フォードとGMは1920年代から1930年代にヨーロッパ、中南米、日本、オセアニア、南アフリカなどに進出して現地生産を開始した。さらに1950年代なかば以降1960年代にかけて欧米の大手企業(クライスラー、ルノー、シトロエン、フォルクスワーゲンなど)が海外生産を実施、1980年代以降に日本企業も海外生産を行うようになった。完成車の実質的な輸入禁止(高関税や国内産業育成のため)および輸出車増加による貿易摩擦などを契機に現地生産が実施されるようになり、企業の多国籍化が進んだ。[水川 侑]

日本のモータリゼーションの特徴

日本におけるモータリゼーション進行の特徴は以下のようにまとめられる。第一に発展速度の異常なまでの急進性、第二に需要面からみて初期の推進力の主役は中小企業主導型あるいは小型トラック主導型、第三に個人用乗用車に対する需要は1968年(昭和43)ごろから本格化した。個人用需要の割合は1966年30%、1968年41%、1970年51%と急拡大した。第四に急進性ゆえに、1973年を屈折点として内需は停滞局面に入ったものの、競争力がきわめて強くなり、1980年代に入ると輸出車は年間600万台を超え、生産の過半を輸出が占め、貿易摩擦を引き起こす要因となった。第五に道路の整備が進まない状況のところに自動車が急増して、車による振動、騒音、排出ガスなどの公害発生、および交通事故による死傷者の増加が大きな社会問題を引き起こしたことである。
 前記の第二の点についてみると、二輪車の生産が三輪車のそれを抜いたのは1952年、四輪車が三輪車を、さらに二輪車を追い抜いたのは、それぞれ、1956年、1967年である。1956年における四輪車、三輪車、二輪車の生産台数が総生産台数(54万9000台)に占める割合は、それぞれ、11万1000台(20%)、10万5000台(19%)、33万3000台(61%)である。当時の国民所得水準の低さ、道路事情の悪さなどで中小企業向けの三輪車および個人や個人商店向けの二輪車がモータリゼーションの先鞭をつけた。このとき活躍したのは、東洋工業(現、マツダ)、ダイハツ工業、三菱重工業(分離独立して現、三菱自動車工業)などの三輪車メーカーであり、本田技研工業、鈴木自動車工業(現、スズキ)、ヤマハ発動機などの二輪車メーカーである。四輪車のうち乗用車がトラック、バスを抜いたのは1968年(乗用車205万6000台、商用車203万台)で、このころようやく個人用需要が開花し始めたのである(この年の個人用需要割合は40%、1970年51%)。ヨーロッパの自動車工業は乗用車主導で発展したが、旧ソ連と中国では、日本と同じようにトラック主導型である。[水川 侑]

日本の大量生産技術体系の発展

次に、日本の大量生産技術体系の発展を量産規模との関係から説明すると、大別して5期に区分できる。
 第1期は、1949年(昭和24)のドッジ・デフレ(自動車企業で人員削減、経営合理化が断行された)の後、朝鮮特需から四輪車の年産が10万台に達するまでで、業界トップのトヨタ自動車の月産台数が3000台に達するまでの時期である。この時期は量産規模が小さいため、トヨタでは第二次世界大戦中に老朽化した基幹機械の輸入更新と動作研究、半自動化という量産的機械作業のための徹底した準備がなされた時期である。
 第2期は、年産で約100万台に達する1962年までで、トヨタが月産1万台規模を実現した時期である。「クラウン」と「ニュー・コロナ」専用の愛知県元町工場第1期工事が完了したとき(1959年7月)の月産能力は5000台であった。この時期は、切削加工の自動化の段階である。切削加工用の汎用(はんよう)機械にかわって専用機械(その典型はエンジン・ブロック加工用のトランスファーマシン)を導入したのである。従来なら約50人の労働者が約50台の工作機械を用いて加工していたエンジン・ブロックの加工を、1セットのトランスファーマシンを導入することで、2~3人の労働者で加工を可能にした。
 切削部門へのトランスファーマシンの導入は、組立て部門での流れ作業生産方式による大量生産システムを必要とし、またそのためには工場内および下請部品企業に至るまで、コンベヤーの速度にあわせた部品供給の「同期化」が必要となる。当時、トヨタは「かんばん方式」と称する在庫管理、部品調達の同期化方式が、下請部品企業に至るまで徹底して導入された。遅れていた部品企業を生産的下請系列として組織化した。
 第3期は、年産200万台、トヨタの月産が4万台規模に至る1966年ごろ(乗用車生産がトラックのそれを凌駕(りょうが))までである。この時期は、プレス作業の自動化や冷間鍛造などによる塑性加工の自動化段階である。プレス作業は、たとえばボディの屋根のような大物のプレスでも、そのスピードは1分間に8個ないし10個である。冷間鍛造機を使用すると、従来の切削加工法では月間600個の生産に対して、月間60万個も可能となり、しかも材料使用量は3分の1ですみ、コストは約3分の1に激減する。その他、あらゆる量産加工法がいもづる式に体系的に導入された。この時期は国際水準の生産体系の確立期であった。日本自動車工業の国際競争力は抜群に強化され、1960年代なかば以降、輸出が飛躍的に拡大し、また中南米や東南アジアなどの地域に進出してノックダウン(KD)生産を始めた。
 第4期は、1966年(俗にこの年はマイカー元年とよばれる)ごろから1992年(平成4)ごろまでで、組立ての自動化段階である。その象徴はマルチスポット溶接機であり、ロボットの導入の時期でもある。労働力不足、現場作業者の熟練の限界、生産規模拡大という問題を同時に解決することを目ざして、組立ての自動化(例、トヨタ田原第4組立工場・マツダ防府新工場)が進められた。
 第5期は、バブル経済が崩壊して、需要が縮小に転じた1992年以降である。第4期は少品種大量生産から多品種少量生産の時期であり、組立ての自動化の時期であった。多品種少量生産は生産のフレキシビリティ(柔軟性)に欠け、1990年代の長期不況で自動車工業のほぼ全社が減収減益にみまわれて苦境に立たされるや、その見直しがなされた。また多くなりすぎたモデルが整理されることになった。[水川 侑]

20世紀末の大編成

日本の自動車企業は、貿易自由化、資本自由化期(1971年4月以降)を迎え、国内乗用車競争に遅れをとった日野自動車工業(現、日野自動車)は1966年、ダイハツは1967年にトヨタと業務提携(のち資本提携)し、富士重工業は1968年に日産自動車と業務提携した。三菱自工は1971年にクライスラーと(1993年に解消)、いすゞ自動車も同年にGMと全面提携して外資導入によって存続を図った。東洋工業も1979年にフォードとの資本提携に踏み切った。このような業務・資本提携で、自動車業界はトヨタグループ、日産グループ、GM系いすゞ、クライスラー系三菱自工、フォード系マツダ、独立系の本田技研、スズキという編成ができあがり、比較的緩い企業集団の状態で1990年代なかばまできた。
 ところが、1990年代に入ると経済が世界的拡大に向かうグローバル化、ボーダレス化が急速に進んで、企業を取り巻く経済環境が非常に厳しくなり、1990年代なかば以降、世界的な規模でM&A(企業の合併・買収)が数多く行われるようになった。M&Aで競争力をいっそう強化しようとする企業と、それに依存して生き残りを図ろうとする企業が現れた。世界の主要な自動車企業は、1998年11月のダイムラー・ベンツとクライスラーの合併によるダイムラー・クライスラー誕生を契機に、現在5~7のグループに編成されつつある。三菱自工はダイムラー・クライスラーの出資受け入れを決定、2000年7月資本提携に関する最終契約に調印した。ダイムラー・クライスラーの出資比率は34%。また、GMはいすゞ、富士重工、スズキとの資本関係を強化した。本田技研はGMと業務提携し、フィアットもGMと資本提携した。フォードはマツダへの出資率を33.4%として子会社化した。日産と日産ディーゼルはルノーの軍門に降った。トヨタは従来のグループ企業への出資率を高めて子会社化する一方で、ヤマハ発動機に約5%出資して、グループの競争力強化を図っている。
 これらの合併・再編成が意図している主要な点は次の三つである。第一は、超高級車から軽自動車(あるいは超小型車)に至るまでのフルライン体系(商用車も含む)の形成。同時にプラットホームや部品の共通化および資材・部品の共同購入などから得られるスケール・メリット(規模の利益)の追求。第二は、日本、アジア(オセアニアを含む)、北米(中南米を含む)およびヨーロッパという市場で、販売シェアが小さいかあるいは生産基盤が弱い地域を合併・再編で相互に補完すること。第三は、環境問題の深刻化で、世界の各市場では燃費効率がよく低公害の小型車需要が高まると予想される。この社会的要請にこたえるために新エネルギー車を開発しなければならない。これに必要な資金や技術開発を単独で負担することは困難である。この面で各社の弱点を補完する必要があること。
 このように、世界の主要な自動車企業が5~7のグループを形成すると(一国単位ではなく、世界的な規模で寡占体制が形成されると)、ある国の、たとえば日本の、あるいはアメリカの自動車工業という観念は捨ててしまわなければならない。また世界の主要企業のほとんどが多国籍企業になってしまうとも考えられる。マンモス化した企業グループ間の競争は当面激しくなるであろう。しかし、将来において協調的な行動をとらないともかぎらない、これらの巨大企業の行動を、ある国の政府が規制することは困難になる。不適切な企業行動を監視する国際機関が必要となるであろう。[水川 侑]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について | 情報 凡例

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