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カールマル Karmal, Babrak

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

カールマル
Karmal, Babrak

[生]1929.1.6. アフガニスタン,カブール近郊
[没]1996.12.3. ロシア,モスクワ
アフガニスタンの政治家。大統領(革命評議会議長。在任 1979~86)。1950年代,学生時代にマルクス主義の政治活動に参加して 5年間投獄された。釈放後は軍に入隊,その後復学して法学士号を取得。1965年にアフガニスタン人民民主党の結成に参加し,1965~73年に国会議員を務めた。1967年にアフガニスタン人民民主党がハルク(人民)派とパルチャム(旗)派に分裂すると,親ソビエト連邦で穏健なパルチャム派の指導者となる。1977年,対立していた 2派は再統一し,1978年にはソ連の支援を受けて政権を握ったが,政権内部の抗争により,副首相だったカールマルはチェコスロバキア大使に降格されプラハに送られた。1979年12月,ソ連軍がアフガニスタンに侵攻すると,カールマルは大統領に擁立されて帰国。だが,ムジャーヒディーンと称されるイスラム反政府勢力が西側諸国,特にアメリカ合衆国からの支援を受け,カールマル共産主義政権に執拗な攻撃を加えた。アフガニスタンは冷戦の戦場となり,ソ連政府は国内の諸問題に対する責任を負わせるかたちでカールマルを公然と非難した。1986年11月,カールマルは健康問題を理由に辞任し,秘密警察長官を務めたムハンマド・ナジブラにあとを譲った。(→アフガニスタン紛争

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

カールマル
かーるまる
Babrak Krmal
(1929―1996)

アフガニスタンの政治家。1979~1981年首相、1979~1986年人民民主党書記長。カブール県カマリー村のタジク民族の出身。ザーヘル国王に仕えた将軍の子。カブール大学卒業。1964年タラキーのアフガニスタン人民民主党に入党、1973年にパルチャム(旗)派を組織してハルク(人民)派と対立。1977年に両派再統合。1978年4月の社会主義革命により副首相に就任。1979年12月のソ連のアフガニスタン軍事侵攻によるクーデターで革命評議会議長に就任したが、1986年5月失脚した。[深町宏樹]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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