改訂新版 世界大百科事典 「キーロフ暗殺事件」の意味・わかりやすい解説
キーロフ暗殺事件 (キーロフあんさつじけん)
ソビエト共産党政治局員,書記局員で,レニングラードの党組織の第一書記でもあったS.M.キーロフが,1934年12月にスモーリヌイで射殺された事件。1930年代後半の大粛清の直接の契機となったことで知られる。キーロフは新反対派のジノビエフに代わって,1925年末以後レニングラードの指導者に抜擢された,党主流派に忠実な党官僚であった。そして20年代末からの集団化以後深刻化した32-33年の農業・政治危機のなかで,彼は穏健な方針を有する指導者であると信じられ,34年の第17回党大会においてはスターリン書記長に代わりうる政治指導者に擬せられていた。一方,犯人はニコラーエフという,反対派的な気分をもつ若い党員であった。事件の直後スターリンは自ら審理に介入し,この結果ジノビエフ,カーメネフら旧党内反対派指導者が,この事件に関係したとの口実により逮捕され,ボリシェビキの大量弾圧が始まり,スターリン個人の絶対的権力(個人崇拝)が強まった。この件について,56年のフルシチョフ秘密報告は,キーロフ暗殺が一部の治安担当者によって支持されていたことを明らかにしたが,さらに61年の党大会でも事件が最上層部の政治的陰謀によるものであることを強く示唆した。しかし事件に対するスターリンの直接の主導性はまだ証明されていない。この事件は1929年からの〈上からの革命〉がもたらした政治的社会的危機を,粛清といった強硬手段で克服し,スターリン主義的体制を完成させる契機となった。
執筆者:下斗米 伸夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報