ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「コンラート3世」の意味・わかりやすい解説
コンラート3世
コンラートさんせい
Konrad III
[没]1152.2.15. バンベルク
ホーエンシュタウフェン朝初代のドイツ王 (在位 1138~52) 。ホーエンシュタウフェン朝の基礎を築いたが,みずからは神聖ローマ皇帝とはならなかった。シュワーベン公フリードリヒ1世の次男として生れ,1116年叔父のハインリヒ5世によって東フランケン公に任じられた。 27年ドイツ王となったザクセン家のロタール2世 (3世)の対立王に推されて王と抗争し,一時イタリア王ともなったが,38年ロタールの死後正式に王に選ばれ,アーヘンで王位についた。しかしバイエルン公兼ザクセン公ハインリヒ傲慢公 (ウェルフェン家) が彼の王位を承認せず,対立は傲慢公急死のあとも反乱となって継続したため,遺子ハインリヒ獅子公にザクセン領を与え,傲慢公の寡婦ゲルトルーデと結婚したハインリヒ・ヤソミルゴットにバイエルン領を継がせて事態を収拾した。 47年第2次十字軍に加わって小アジアにおもむいたが,疫病流行のために目的を果さず,50年帰国。のちシチリア王が北イタリアを侵したので,イタリア遠征を企てたが病没。
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