ドイツ西部,ノルトライン・ウェストファーレン州の古都。人口25万7821(2004)。フランス語ではエクス・ラ・シャペルAix-la-Chapelle。工科大学で知られる文教都市,カトリックの司教座を含む宗教的中心であるとともに温泉保養地としても著名。主産業は繊維と縫針製造で,それぞれ中世以来の伝統をもつ。温泉については,ローマ期以前から知られており,その後ローマ駐留軍の保養地兼軍事的拠点となって集落が発達した。歴史的には,カール大帝が好んでこの土地に滞在して王宮を造営し(先例は765年の文書で確認されるメロビングの王宮),いわゆるカロリング・ルネサンスの中心地となり,オットー1世(大帝)の戴冠(936)以降ドイツ国王は〈アーヘンの椅子に座る〉ことが慣行となり,正統性獲得の要件となった。都市アーヘンはこのカール大帝の宮廷の周辺に発達し,フリードリヒ1世バルバロッサ帝の下で特権を獲得,1166年帝国都市となり,12世紀末と14世紀初期の2度にわたって市壁を完成した。中世における経済的繁栄の基礎となったのは,商業とともに毛織物業であり,市の周辺ではそれを支える牧羊も行われた。1530年ころ宗教改革を導入して皇帝と対立,16~17世紀の宗教戦争,三十年戦争の戦禍で没落,1656年の大火では90%を焼失,その時の人口2万5000を回復したのは1801年になってであったと言われる。フランス革命軍に占拠された後,15年ウィーン会議の決定に従ってプロイセン領となる。第2次世界大戦でも65%におよぶ戦災を蒙っている。
執筆者:魚住 昌良
カール大帝の古代文化復興政策によるカロリング・ルネサンスの一大記念碑である。800年ころ完成。現在は独立した大聖堂であるが,かつては同大帝の王宮の一部をなしていた。宮廷礼拝堂であると同時に,大帝の廟でもあるという二重の要請から,2階構成の中央空間(八角形)をもつ集中式プランとなっている。内部は,重々しいローマ建築風の壁体をもつ台座部(ラベンナのテオドリックの廟堂)の上に,ビザンティンの八角形の聖堂(同じラベンナのサン・ビターレ聖堂)が積み重ねられたかのような印象を与え,古代末期の東西両ローマ帝国の文化遺産がみごとに融合されている。なお,現在の内陣はゴシック時代のもの。1531年まで歴代30人のドイツ皇帝,神聖ローマ帝国皇帝の戴冠式がこの聖堂で行われた。付属の宝物館は,10世紀末の《ロタールの十字架》(アウグストゥスのカメオ付き),写本など,中世の美術品の収集で知られる。
執筆者:越 宏一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
ドイツ西部、ノルトライン・ウェストファーレン州の都市。同州の西縁、ベルギー、オランダとの国境近く、同名の盆地内に位置する。フランス語名エクス・ラ・シャペルAix la Chapelle。人口24万4400(2000)。ケルンに至る古代のローマ道路に沿って立地した歴史的な都市。現在もケルンからベルギー、フランスに通じる国際鉄道や、アウトバーンE5が通る国境の交通要地である。織物、針、機械、電気機器、ガラスなどの工業が行われ、工科大学を主とする大学がある。また11の温泉(泉温72℃)があり、古来温泉地としても知られる。市の中央部をなす旧市城は円形で、12世紀末および14世紀の囲壁跡が二重の環状道路となり、町の中心部は有名なドームや市庁舎、市場、広場で構成され、南に泉と公園が接する。内環道路の外側に中心商店街アダルベルト通りや市立劇場(1825)がある。14世紀の囲壁の名残(なごり)としてポント門(1320)が残され、旧市城の北東側に広大な温泉公園がある。
[小林 博]
かつては神聖ローマ帝国の帝国都市であった。1世紀以降ローマ人により温泉保養地として利用されていたが、794~795年カール大帝がこの地に王宮を建設し、死後はその宮廷礼拝堂に葬られた。881年ノルマン人による破壊を受けたのち、936年オットー1世が即位して以降、1531年のフェルディナント1世に至るまで、歴代ドイツ国王はこの地で即位する慣例となった。1166年フリードリヒ1世から都市法や種々の特権が賦与され、自由都市としての基礎が固まった。1348年以降、都市貴族の寡頭支配に対しツンフト(同職ギルド)闘争が勃発(ぼっぱつ)、1450年の特許状により、手工業者の市政参加が認められた。宗教改革期には都市参事会内部で新旧両教派の紛争が生じ、そのため二度まで皇帝による破門を招いたが、結局、紛争は旧教派の勝利に終わった。1814~1815年のウィーン会議によりプロイセン領に編入されてライン州に所属し、1946年以降はノルトライン・ウェストファーレン州の所属となった。
[平城照介]
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ドイツ,ノルトライン‐ヴェストファーレン州にある都市。フランス名エクス・ラ・シャペル。ベルギーに近接する古都で,1世紀にはすでにローマ人の集落があった。カール大帝がこの地を好んで王宮を営み,カロリング・ルネサンスの中心であった。またドイツ王は「アーヘンの椅子に座らねばならぬ」慣行から,9世紀以後16世紀まで歴代の戴冠式がここで行われた。1166年帝国都市となった。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…しかしながら古代文化とキリスト教とを両輪としたカール大帝時代の文化政策は,バイキングやイスラムの侵攻を受けることの少なかったドイツの地にもっとも多く受け継がれ,その後のドイツ文化形成の大きな基礎となった。 カール大帝がアーヘンの地に建立させた集中式プラン(八角形)の宮廷礼拝堂(805献堂)は,ラベンナのサン・ビターレ教会を手本として,フランク人メッツのオドOdo von Metzによって造営されたものである。ゲルマンの文化はこのころすでにモニュメンタルな石造建造物を独自の力で造営できる技術段階に達していたことが知られる。…
※「アーヘン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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