ジュリオ・ロマーノ
Giulio Romano
生没年:1499-1546
マニエリスムを代表する16世紀イタリアの画家,建築家。本名ピッピGiulio Pippi。ローマに生まれ,ラファエロの工房で修業。その高弟として,バチカン宮殿内の壁画をはじめとする師の晩年の作品の多くを共同で制作した。1524年フェデリコ・ゴンザーガに招かれてマントバに移り,公の別荘パラッツォ・デル・テ(1525-32)を建設,主宮殿パラッツォ・ドゥカーレの改修に従事し,市の都市・水利計画を指導した。合理的,調和的な古典主義の規範を熟知したうえでそれを意図的に崩し,破調と奇想,衒学と不条理に満ちた創作によって,古典様式を解体しマニエリスムへの道を開いた。建築では自邸(1540ころ。マントバ),マントバ大聖堂(1545ころ)も名高く,絵画の代表作にはバチカン宮殿新ロッジアおよびパラッツォ・デル・テの内装壁画がある。
執筆者:日高 健一郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
ジュリオ・ロマーノ
Giulio Romano
[生]1492/1499. ローマ
[没]1546.11.1. マントバ公国,マントバ
イタリアの画家,建築家。本名 Giulio Pippi,フルネーム Giulio di Pietro di Filippo de' Gianuzzi。10歳頃からラファエロ・サンツィオに師事した。ローマのビラ・ファルネジーナの壁画をはじめ多くの作品で助手を務め,ラファエロの死後,未完成作『キリスト変容』(バチカン美術館)を仕上げた。1524年,ゴンツァガ家のフェデリーコ2世に招かれてマントバに行き,パラッツォ・デル・テ(1525~35頃)の装飾その他で活躍。そこでの優れた技巧と複雑な構成をもつ装飾壁画は,マニエリスムの代表作の一つである。建築家としては,パラッツォ・デル・テのほかにローマのビラ・マダマやサン・ピエトロ大聖堂ドームの改新などが知られる。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
百科事典マイペディア
「ジュリオロマーノ」の意味・わかりやすい解説
ジュリオ・ロマーノ
イタリア・ルネサンス期の画家,建築家。本名ジュリオ・ディ・ピエトロ・デ・ジャヌッツィ・ピッピGiulio di Pietro de Gianuzzi Pippi。ラファエロの助手としてサン・ピエトロ大聖堂の造営やファルネジーナ宮の壁画の制作等を助け,師の没後はバチカンの壁画等未完の作品を継続し完成した。1524年以後はマントバで活動,パラッツォ・デル・テの建築と装飾に携わる。奇想あふれる画風によって,マニエリスムの創始者のひとりとされる。
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
世界大百科事典(旧版)内のジュリオロマーノの言及
【マニエリスム】より
…そして,その折衷的制作方法の中に,マニエリスムのもっとも根源的な〈手法主義〉の萌芽があった。したがって,ラファエロの工房で働いたジュリオ・ロマーノらは,既成の古典主義的手法を技巧的な手練をもって使用することにより,古典主義の基礎である〈自然〉から離れ,結果として〈様式主義〉または〈手法主義〉におちいっている。 以上のほか,マニエリスムの様式上の具体的な先例としては,16世紀初頭に発見された《ラオコオン》をはじめとするヘレニズム期のドラマティックな彫刻と,デューラーを代表とする北方の芸術家が伝えた非ラテン的精神主義などが指摘できる。…
※「ジュリオロマーノ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」