スラブ民族(読み)すらぶみんぞく(英語表記)Slavs

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

スラブ民族
すらぶみんぞく
Slavs

スラブ諸語を使う人々の総称で、ヨーロッパ諸民族中最大の民族集団。[原 暉之]

民族の構成

大部分はロシアをはじめとする旧ソ連諸国および東欧諸国に居住し、その地理的位置と言語の近親性の度合いに基づいて東スラブ、西スラブ、南スラブの3群に分類される。1995年における総人口は約3億で、その内訳は、ロシア人1億4650万、ウクライナ人4600万、ベラルーシ人1000万(以上東スラブ)、ポーランド人4900万、チェコ人1038万、スロバキア人450万(以上西スラブ)、ブルガリア人845万、セルビア人1016万、クロアチア人565万、スロベニア人230万、モンテネグロ人62万、マケドニア人177万(以上南スラブ)などである。[原 暉之]

歴史

スラブ諸語は、言語系統上インド・ヨーロッパ語族に属するスラブ語派を構成し、かつて存在したと推定されるスラブ祖語(共通スラブ語)から分化と進化を遂げて今日に至ったと考えられている。スラブ民族の現住地とその起源をめぐる問題は、インド・ヨーロッパ語族の言語・文化・習俗などをめぐる諸問題の中核をなすほどむずかしく、学問的には未解決の側面を残すが、おおむねカルパティア山脈の北方、現在のポーランド、ベラルーシ、ウクライナ北西部にまたがる地域が原スラブ人の故地とされ、そこから周辺地域に拡散する過程で大きくは東スラブ・西スラブ・南スラブの3群に分化しつつ、隣接諸民族との接触や交渉を繰り返すなかで、多様な民族国家を形成してきた。
 東スラブ・西スラブ・南スラブの3群を通じて、民族国家形成における最初の大きな画期点をなす時代は9世紀である。すなわち、東のドニエプル川流域ではバルト海と黒海を結ぶ交易の発展を基盤にしてキエフ・ロシアが誕生し、西の現在のチェコを中心とする地域ではフランク王国の東方進出に対抗して大モラビア国が建設され、南のバルカン半島ではアジア系遊牧民のブルガール人が言語的・文化的にスラブ化するなかでブルガリアが形成された。ギリシア人宣教師キュリロス・メトディオス兄弟がモラビアのスラブ人に対しスラブ語の典礼を布教したのも、同じ9世紀である。モラビアはのちにラテン式典礼の導入によってローマ教会の影響を受けるようになるが、864年にブルガリア国王ボリス1世はギリシア正教に改宗し、10世紀末にはキエフ・ロシアのウラジーミル公が正教を国教とした。東および南スラブにおける正教会の影響は今日に及んでいる。スラブ系とされる諸民族は言語的には近親関係にあるものの、宗教的・文化的には不均一であり、むしろ正教のロシア対カトリックのポーランドというように対立面が顕著である。
 14世紀には南スラブのセルビア王国が最盛期を迎え、15世紀に入ると西スラブではヤギェウォ朝のポーランドが繁栄をみた。東スラブの動きとしては、キエフ・ロシアの衰退後にモスクワ・ロシアが13世紀から15世紀にかけてのモンゴルの支配を脱し、16世紀なかばにはボルガ川中流域のカザン・ハン国を併合した。これ以後ロシアは東方の広大な領域を支配下におき、18世紀初頭にバルト海沿岸の要地ペテルブルグに遷都してロシア帝国を国号とするようになるが、この間に西スラブの諸国は西隣のドイツ人、北隣のスウェーデン人との抗争によって弱体化し、南スラブの諸国はオスマン・トルコの支配下に入った。18世紀後半には3次にわたるポーランド分割などによってロシア帝国は西方にも領土を拡大した。それらの結果、19世紀のなかばにバルト海からアドリア海と黒海に至る東欧地域のスラブ民族でロシア、プロシア、オーストリア・ハンガリー、トルコの支配を受けずに国家の独立を保っていたのは、モンテネグロなどわずかな例外だけであった。
 ドイツ人やトルコ人の支配を受けた地域ではスラブ民族意識の高揚がみられ、それを背景として、18世紀末から19世紀前半にかけての時代にスラブ文献学が生まれた。その創始者の一人でチェコの学者ヨセフ・ドブロフスキーJosef Dobrovsky(1753―1829)が1792年に著した『ボヘミアの言語と文学の歴史』はスラブ文献学の出発点をなした業績として知られている。スラブ文献学を基礎にして20世紀、とくに第二次世界大戦後、スラブ研究という学問分野が発展した。
 スラブ民族意識の高揚は、ロシアを盟主とする政治理念としてのパン・スラブ主義(汎スラブ主義)と結び付いた。1877~78年のロシア・トルコ戦争は、ロシア側からはトルコに隷属するスラブ同胞の解放戦争であり、パン・スラブ主義の理念を体現する戦争であったが、バルカン半島をめぐる諸列強の勢力抗争としてのロシア・トルコ戦争は、新たな国際対立を生み、それが第一次世界大戦の誘因となった。
 第一次および第二次世界大戦では、スラブ民族の居住するロシアから東欧にかけての広い地域を戦場として激戦が繰り広げられ、両大戦の結果はこの地域に大変動をもたらした。第一次世界大戦の結果、ポーランドは独立し、西スラブのチェコとスロバキア、南スラブのセルビア、クロアチア、スロベニアは統合によってスラブ人国家を新たに形成した。東スラブのロシア、ウクライナ、ベラルーシは、旧ロシア帝国の領土をほぼ継承する社会主義国家としてのソ連邦の根幹的な構成共和国を形成した。第二次世界大戦後は、西スラブ、南スラブを含むスラブ民族の諸国家がソ連邦を事実上の盟主とする社会主義圏を形成する結果となった。[原 暉之]

1990年以降

さらに1991年のソ連邦崩壊を頂点とする社会主義圏諸国の体制変動によって、旧ソ連邦と東欧諸国の間にあった社会主義的国際関係も崩壊し、ヨーロッパ連合(EU)の東方拡大とも相まって、スラブ民族の居住地域としての旧ソ連・東欧地域には大きな亀裂が入るようになった。また、ソ連邦だけでなく、チェコスロバキア、ユーゴスラビアという連邦国家も崩壊し(チェコスロバキアは1993年、チェコとスロバキアに分離し、ユーゴスラビアは1991~92年にスロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、マケドニアが独立、新ユーゴスラビアを構成していたセルビアとモンテネグロは2003年に連合国家セルビア・モンテネグロを樹立した後2006年にそれぞれ独立国家となった)、歴史上かつて例をみないほど多数の独立国家が並び立っているのがこの地域の現在の特徴である。[原 暉之]
『鳥山成人著『スラヴの発展』(『大世界史15』1968・文芸春秋) ▽森安達也著『キリスト教史』(『世界宗教史叢書3』1978・山川出版社) ▽清水睦夫著『スラヴ民族史の研究』(1983・山川出版社) ▽森安達也編『スラブ民族と東欧ロシア』(『民族の世界史10』1986・山川出版社) ▽和田春樹著『ロシア・ソ連』(『地域からの世界史11』1993・朝日新聞社) ▽森安達也・南塚信吾著『東ヨーロッパ』(『地域からの世界史12』1993・朝日新聞社) ▽川端香男里ほか編『スラブの文化』、原暉之ほか編『スラブの民族』、和田春樹ほか編『スラブの歴史』、石川晃弘ほか編『スラブの社会』、木戸蓊編『スラブの政治』、望月喜市ほか編『スラブの経済』、伊東孝之ほか編『スラブの国際関係』、原暉之ほか編『スラブと日本』(『講座スラブの世界1~8』1994~96・弘文堂) ▽伊東孝之・井内敏夫・中井和夫編『ポーランド・ウクライナ・バルト史』(『新版・世界各国史20』1998・山川出版社) ▽南塚信吾編『ドナウ・ヨーロッパ史』(『新版・世界各国史19』1999・山川出版社) ▽和田春樹編『ロシア史』(『新版・世界各国史22』2002・山川出版社) ▽田中克彦、H・ハールマン著『現代ヨーロッパの言語』(岩波新書)』

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