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チネチッタ Cinetittà

百科事典マイペディアの解説

チネチッタ

イタリアの映画撮影所。〈映画都市〉の意。1935年ムッソリーニ命令で計画され,1937年に開所された。ローマの南9kmに位置し,敷地面積は14万m2特撮録音,編集用のスタジオなど計17の撮影ステージを持ち,ヨーロッパ最大の国営撮影所として世界に知られた。

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世界大百科事典 第2版の解説

チネチッタ【Cinecittà】

イタリアの映画撮影所。イタリア語で〈映画都市〉の意。1935年,ムッソリーニの命令でローマの南方9kmの荒野に設立が計画され,36年に着工,翌年には早くも開所となり,ファシズム政権がこの撮影所になみなみならぬ期待を抱いていたことがわかる。敷地面積14万m2,ふつうのステージが10棟のほか,特撮,録音,編集用など計17のステージをもち,ヨーロッパ最大の国営撮影所として内外に広く宣伝された。第2次世界大戦後は半官半民の貸しスタジオとなり,アメリカのメジャー会社の大作や世界各国の映画が数多くつくられることになる。

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大辞林 第三版の解説

チネチッタ【Cinecittà】

ローマ近郊にある映画撮影所。現像所・映画ライブラリー・映画実験センターがあり、ハリウッドに次ぐ映画の都。

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世界大百科事典内のチネチッタの言及

【イタリア映画】より

…〈イタリア映画最後の日〉と評されることになる史劇映画最後の超大作《ポンペイ最後の日》の4度目の映画化作品(1926)をアムレート・パレルミと共同で撮ったカルミネ・ガローネも,その後1926年から36年にかけて,フランス,イギリス,ドイツ,ハンガリーを転々とし,ムッソリーニ政権下の母国では音楽映画《おもかげ》(1935),スペクタクル史劇《シピオネ》(1937)などの国策映画を撮ることになる。
[国策映画と白い電話機映画]
 知謀の勇将シピオネの決断と国民の愛国心によるローマ帝国の北アフリカ侵略の勝利を謳歌した《シピオネ》は,ムッソリーニのエチオピア侵略戦争を正当化した作品として(ムッソリーニ自身がこの映画の脚本を書いたともいわれる),また実際にアフリカでロケされ,そして建設されたばかりの映画都市チネチッタで作られた最初の超大作として,ムッソリーニのもっとも気に入った映画であった(1937年のベネチア映画祭で,のちのグラン・プリに相当する〈ムッソリーニ杯〉を授与された)。実際,イタリア史劇映画の伝統を感じさせる大スペクタクル歴史絵巻と評されたが,映画史家アーサー・ナイトによれば,ローマ帝国の兵士が腕時計をつけていたり,ローマの丘の上に電柱が立っていたりするといったずさんなところもあったという。…

※「チネチッタ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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