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ツァンコフ ツァンコフTsankov, Aleksandur

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ツァンコフ
Tsankov, Aleksandur

[生]1879.6.29. オリャホボ
[没]1959.7.17. ブエノスアイレス
ブルガリアの政治家。 1910年ソフィア大学経済学教授。右派軍人や財界人を主体とする「国民協商」の指導者。 A.S.スタンボリースキ政権に反対して,23年6月クーデターを起し,首相に就任。左翼に対する過酷な弾圧ぶりが国際的に有名になった。 26年首相を辞し国会議長となり,30~31年には教育相として同国の枢軸陣営への接近に貢献した。 44年9月ウィーン,のち南アメリカへ亡命。

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世界大百科事典 第2版の解説

ツァンコフ【Dragan Tsankov】

1828‐1911
ブルガリアの政治家。ロシアで学んだのち教師となり,新聞《ブルガリア》を発行(1856‐63)。ブルガリア自治公国成立後(1878),自由党創設。2期にわたり首相を務め(1880,83‐84),親ロシア的な外交を進めた。自由党分裂に際しては右派に属し,のちに進歩自由党を創設。1886年8月のクーデタ後ロシアに移住するが,スタンボロフ政権崩壊後ブルガリアに戻る(1894)。20世紀初頭には政治生活から身を引いた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ツァンコフ
つぁんこふ
Aleksandr Tsankov
(1879―1959)

ブルガリアの政治家。ソフィア大学経済学教授。社会民主党員であったが右傾化し、1922年国民協商の指導者となる。1923年の軍事クーデターによる政権の首相となり、農民同盟と共産党を弾圧する。国民協商を民主協商に改組して勢力拡大を図るが失敗し、1926年に首相を辞任。1930年代にはファシズム運動を率いるが、1944年に祖国戦線が権力をとると国外に亡命した。[寺島憲治]

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