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ツェトキン ツェトキンZetkin, Clara

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ツェトキン
Zetkin, Clara

[生]1857.7.5. ウィーデラウ
[没]1933.6.20. アルハンゲルスコエ
ドイツの婦人革命家。社会主義者鎮圧法が施行されている時代にドイツ社会民主党に入党。主として党の婦人団体組織と教育,文化活動に従事した。 1892~1916年党の婦人雑誌『平等』 Gleichheitを刊行し,その主筆となった。第1次世界大戦中は党内最左翼として戦争に反対し,15年国際婦人会議開催,16年スパルタクス団の創設者の一人となり,17年独立社会民主党に属した。 19年共産党に入り,20年立候補して議員となり,24年にはコミンテルン婦人局長となった。晩年は多くモスクワで過し,コミンテルンの執行委員として活動した。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ツェトキン
つぇときん
Clara Zetkin
(1857―1933)

ドイツの政治家。ザクセンのウィーデラウに教師の娘として生まれる。ライプツィヒに移住後、女性教師養成所で勉学中、ロシア社会主義者オシップ・ツェトキンOssip Zetkin(1852―1889)と知り合い、のち結婚。1878年ドイツ社会民主党に入党し、1891年女性運動の雑誌『グライヒハイト』(平等)の発行に携わり、社会主義的女性運動の指導者となった。この間、党の統制委員、教育委員などを務めたが、左翼急進派として第一次世界大戦中も反戦活動を継続、ローザ・ルクセンブルクらとスパルタクス団を組織し、1917年に独立社会民主党に参加した。1919年ドイツ共産党に移り、1920年以来、国会議員となり、党中央委員、コミンテルン執行委員としても活動、1932年8月には最年長議員として国会でナチ党を激しく攻撃した。1933年6月20日、モスクワ近郊アルハンゲリスコエで死去した。[松 俊夫]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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