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テトラルキア tetrarchia

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

テトラルキア
tetrarchia

四分領。起源は古代ギリシアのテッサリア四分統治で,政治,軍事組織上の目的で人為的に定められたもの。のちマケドニアフィリッポス2世もテッサリア支配の際この方式を採用した (前 342) 。帝政期ローマの東方属州,特にガラテア,シリア,パレスチナでも採用され,数も4つとは限らず,分封領を意味するようになった。またローマ皇帝ディオクレチアヌスによる4皇帝の分割統治 (293~305) をもさす。

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世界大百科事典 第2版の解説

テトラルキア【tetrarchia[ギリシア]】

古代ヘレニズム・ローマ時代の四分治制。〈4分の1の権力〉が本来の意味。テッサリアの4政治・軍事区分を指して用いられたのが起源らしい。のちこれは実効性を失ったが,前4世紀にテッサリアを支配したマケドニアのフィリッポス2世がテトラルキアを復活させ,4人の部下を長として派遣してテッサリアの反抗を抑えた。やがてのちのヘレニズム諸王国でもこれを取り入れるものがあり,四つに限定されず,下級政治区分一般を指して用いられることもあった。

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世界大百科事典内のテトラルキアの言及

【ローマ】より

…283年にはさらにカリヌス(在位283‐285),ヌメリアヌス(在位283‐284)が立ったが,ディオクレティアヌス(在位284‐305)の即位をもって,混乱の軍人皇帝時代は終わる。
[第4期――専制君主政期(284‐395)]
 ディオクレティアヌスは統治と防衛をより効果的なものにするために,帝国を4分割し,自分とマクシミアヌスの2人を正帝とし,ガレリウスとコンスタンティウスを副帝とする四分治制(テトラルキア)を敷いた。彼の自発的退位(305)に際して再び起こった内乱のなかからコンスタンティヌス1世とリキニウスが勝ち残り,再度(313,314)の内戦ののちコンスタンティヌス1世が単独皇帝として残った(在位306‐337)。…

※「テトラルキア」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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