デービッド ベッカム(英語表記)David Beckham

現代外国人名録2016 「デービッド ベッカム」の解説

デービッド ベッカム
David Beckham

職業・肩書
元サッカー選手

国籍
英国

生年月日
1975年5月2日

出生地
エセックス州レイトンストーン

本名
ベッカム,デービッド・ロバート・ジョセフ〈Beckham,David Robert Joseph〉

勲章褒章
OBE勲章〔2003年〕

経歴
14歳の時にマンチェスターユースと契約。1992年FAユースカップを制する。’93年からプレミアリーグマンチェスター・ユナイテッド(マンU)でプレー。’94〜95年プレストンにレンタル移籍するが、’95〜96年シーズンに復帰しレギュラーに定着、チームのプレミアリーグ優勝とFAカップ優勝に貢献。’96〜97年シーズン、プレミアリーグ優勝。’98〜99年シーズンは司令塔として、プレミアリーグ、FAカップ、欧州チャンピオンズリーグ(欧州CL)の3冠達成に貢献。’99年トヨタカップ初優勝。’99年〜2000年、2000〜2001年、2002〜2003年シーズン優勝。ユース以来、マンU一筋でプレーしてきたが、2003年移籍金約49億円の4年契約でスペインレアル・マドリードに移籍。契約最終年の2007年リーグ優勝。同年7月、5年総額2.5億ドル(当時約300億円)で米国リーグMLSのロサンゼルス・ギャラクシーへ移籍。2009年1月イタリア・セリエAACミランに3ケ月の期限付き移籍。2010年もオフ返上でACミランへ期限付き移籍。2011年MLSのプレーオフを制し、ギャラクシーとしては6年ぶり3度目、自身は初の優勝に貢献。2012年12月ギャラクシーを退団。2013年1月フランス1部リーグの強豪パリ・サンジェルマン(PSG)に移籍すると、19シーズンぶりのリーグ制覇に貢献。イングランド代表としては、1997年9月対モルドバ戦でデビュー。’98年W杯フランス大会では決勝トーナメント1回戦対アルゼンチン戦でディエゴ・シメオネの挑発に乗った報復行為で一発退場、イングランド敗退の戦犯扱いを受けた。2002年W杯日韓共催大会直前の4月、欧州CLの対ラコルニャ戦で左足を骨折するが、6月の本大会では主将としてベスト8進出に貢献。2006年W杯ドイツ大会でも主将を務め、ベスト8。2010年のW杯で4大会連続出場を狙っていたが、3月リーグ戦のキエボ戦で左アキレス腱を断裂。W杯南アフリカ大会メンバーからは外れたが、コーチとして帯同。トップ選手として活躍する一方、端正なルックスから“貴公子”とも呼ばれ、1999年には英国のアイドルグループ、スパイス・ガールズのビクトリアと結婚、3男1女をもうける。2013年5月PSGのリーグ優勝を最後に、“最高レベルのままやめる”として38歳で現役を引退。イングランド、スペイン、米国、フランスと4ケ国のリーグで優勝し、イングランド代表としては歴代最多の115試合に出場して17得点を記録。“魔法の右足”から繰り出されるクロスとフリーキックは世界最高と評され、世界中で愛されたスーパースターだった。日本ではW杯日韓大会中に頭の中央に髪を寄せて立てるヘアスタイル“ベッカムヘア”が流行するなど“ベッカム旋風”を巻き起こした。自伝に「ベッカム―すべては美しく勝つために」がある。現役時代は183センチ、74キロ。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

最新 世界スポーツ人名事典 「デービッド ベッカム」の解説

デービッド ベッカム
David Beckham
サッカー

サッカー選手
生年月日:1975年5月2日
国籍:英国
出生地:エセックス州レイトンストーン
別名等:本名=David Robert Joseph Beckham
経歴:14歳の時にマンチェスターユースと契約。1992年FAユースカップを制する。’93年からプレミアリーグのマンチェスター・ユナイテッドでプレー。’94〜95年プレストンにレンタル移籍するが、’95〜96年シーズンに復帰しレギュラーに定着、チームのプレミアリーグ優勝とFAカップ優勝に貢献。’96〜97年シーズン、プレミアリーグ優勝。’98〜99年シーズンは司令塔として、プレミアリーグ、FAカップ、欧州チャンピオンズリーグの3冠達成に貢献。’99年トヨタ杯出場で初来日、ブラジルのパルメイラスを下し、チームに初優勝をもたらす。’99〜2000年、2000〜2001年シーズンもプレミアリーグを制し3連覇、2002〜2003年シーズンも優勝。ユース以来、マンチェスター・ユナイテッド一筋でプレーしてきたが、2003年移籍金約49億円の4年契約でスペインのレアル・マドリードに移籍。契約最終年の2007年リーグ優勝。同年7月、5年総額2.5億ドルで米国リーグMLSのロサンゼルス・ギャラクシーへ移籍。2009年1月イタリア・セリエAのACミランに3ケ月の期限付き移籍。2010年もオフ返上でACミランへ期限付き移籍。2011年MLSのプレーオフを制し、ギャラクシーとしては6年ぶり3度目、自身は初の優勝に貢献。2012年12月ギャラクシーを退団。2013年1月フランス1部リーグの強豪パリ・サンジェルマン(PSG)に移籍すると、19シーズンぶりのリーグ制覇に貢献。イングランド代表としては、1997年9月対モルドバ戦でデビュー。’98年W杯フランス大会では決勝トーナメント1回戦対アルゼンチン戦でディエゴ・シメオネの挑発に乗った報復行為で一発退場、イングランド敗退の戦犯扱いを受けた。2002年W杯日韓共催大会直前の4月、欧州チャンピオンズリーグの対ラコルニャ戦で左足を骨折するが、6月の本大会では主将としてベスト8進出に貢献。2003年OBE勲章を受章。2006年W杯ドイツ大会でも主将を務め、ベスト8。2010年のW杯で4大会連続出場を狙っていたが、3月リーグ戦のキエボ戦で左アキレス腱を断裂。W杯南アフリカ大会メンバーからは外れたが、イタリア人のファビオ・カペッロ代表監督のもと、コーチとして帯同した。トップ選手として活躍する一方、端正なルックスから“貴公子”とも呼ばれ、世界中で人気が高く、1999年には英国のアイドルグループ、スパイス・ガールズのビクトリアと結婚、3男1女をもうける。夫妻の私生活は常に世界中の関心を集めた。2013年5月PSGのリーグ優勝を最後に、“最高レベルのままやめる”として38歳で現役を引退。イングランド、スペイン、米国、フランスと4ケ国のリーグで優勝し、イングランド代表としては歴代最多の115試合に出場し17得点を記録。“魔法の右足”から繰り出されるクロスとフリーキックは世界最高と評され、世界中で愛されたスーパースターだった。日本ではW杯日韓大会中に頭の中央に髪を寄せて立てるヘアスタイル“ベッカムヘア”が流行するなど“ベッカム旋風”を巻き起こし、マスコミからは“ベッカム様”と呼ばれ、テレビCMにも多数出演。自伝に「ベッカム―すべては美しく勝つために」がある。現役時代は183センチ、74キロ。

出典 日外アソシエーツ「最新 世界スポーツ人名事典」最新 世界スポーツ人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「デービッド ベッカム」の解説

デービッド ベッカム

生年月日:1975年5月2日
イギリスのサッカー選手

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

脂質異常症治療薬

血液中の脂質(トリグリセリド、コレステロールなど)濃度が基準値の範囲内にない状態(脂質異常症)に対し用いられる薬剤。スタチン(HMG-CoA還元酵素阻害薬)、PCSK9阻害薬、MTP阻害薬、レジン(陰...

脂質異常症治療薬の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android