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トックビル トックビルTocqueville, (Charles) Alexis (Henri Maurice Clérel) de

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

トックビル
Tocqueville, (Charles) Alexis (Henri Maurice Clérel) de

[生]1805.7.29. パリ
[没]1859.4.16. カンヌ
フランスの歴史家,政治家。下院議員 (1839) ,憲法議会議員 (1848) ,外務大臣 (1849) などを務めた。 1841年アカデミー・フランセーズ会員。広い知識と深い洞察力とにより,人間の自由と平等を求める要求の正当さと,自由と平等の伸長,すなわち民主主義の発展の歴史的必然性を指摘した。主著『アメリカにおける民主主義』 De la démocratie en Amérique (4巻,1835~40) ,『アンシアン・レジームと革命』L'Ancien Régime et la Révolution (1856) 。

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百科事典マイペディアの解説

トックビル

フランスの政治思想家,歴史家,政治家。貴族出身。自由主義思想家として注目され,二月革命後は外相を勤めたが,ルイナポレオンに反対して投獄され政界から引退した。1831年米国に視察旅行。
→関連項目アンシャン・レジーム

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世界大百科事典 第2版の解説

トックビル【Alexis‐Charles‐Henri‐Maurice‐Clérel de Tocqueville】

1805‐59
フランス,ノルマンディーの貴族出身の政治学者,政治家,歴史家。1827年彼はベルサイユ裁判所陪席判事に就任した。一門の正統王朝支持に反して七月王政を容認した自由主義者。31年ボーモンG.de Beaumontと共にアメリカ行刑制度の視察に出発,約9ヵ月間北アメリカ各地を旅行し,帰国後《アメリカのデモクラシー》2巻(1835,40)の著作で〈19世紀のモンテスキュー〉の評価を得て,J.S.ミルとも交流する。

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大辞林 第三版の解説

トックビル【Alexis Charles Henri Maurice Clérel de Tocqueville】

1805~1859) フランスの歴史家・政治家。アメリカ旅行の経験をもとに著した「アメリカの民主主義」は大衆社会を論じた古典的名著とされる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

トックビル
とっくびる
Comte de Tocqueville, Alexis Charles Henri Maurice Clrel
(1805―1859)

フランスの政治学者、歴史家、政治家。ノルマンディーの由緒ある貴族の生まれで、1827~1830年にベルサイユ裁判所の陪席判事を務めた。自由主義思想の持ち主であり、ルイ・フィリップ(市民王)の王政を容認した。1831~1832年にかけて約9か月間、アメリカ行刑制度の視察のかたわら北アメリカを遊歴し、帰国後『アメリカにおけるデモクラシー』De la Dmocratie en Amrique2巻(1835、1840)を発表した。この著作は、近代世界の趨勢(すうせい)であるデモクラシー、とくに平等化の進展を政治・社会・文化に及ぼす影響の観点から論述したもので、その分析と洞察力によって今日の「大衆社会」の出現を予言している。この著作によって「19世紀のモンテスキュー」と評価された。1839年下院議員に当選し、二月革命後制憲議会議員、ついで立法議会議員となり、1849年にはバロー内閣の外相を短期間務めた。七月王朝期の議員活動では奴隷制廃止問題やアルジェリア植民地問題への取り組みが目だつ。1851年12月ルイ・ナポレオンのクーデターに反対して逮捕・投獄され、以後政界を退き歴史研究に専念した。1850~1851年に議会活動を回顧した『回想録』Souvenirsを書いたが、そこには同時代の政治家たちの多彩な活動が浮き彫りにされており史料的価値が高い。歴史著作『旧制度と革命』L'Ancien Rgime et la Rvolution(1856)では、革命はルイ14世以降の専制政治の帰結としてとらえられ、したがって政治生活での「自由の精神」の不可欠性が強調された。この著作の根底にはナポレオン3世の独裁制への批判があった。結核のため転地療養先のカンヌで没した。[中谷 猛]
『トクヴィル著、井伊玄太郎訳『アメリカの民主政治』上中下(講談社学術文庫)』

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世界大百科事典内のトックビルの言及

【圧力団体】より

…アメリカの政治学者C.A.ビアードが,アメリカ連邦憲法の制定過程を検討して,この憲法がさまざまな経済利益間の競合・妥協の産物であると論じたのも,ゆえなしとしない。その後のアメリカにおける圧力団体の発展はますます目覚ましく,19世紀の30年代にアメリカを視察したトックビルが,〈世界中でアメリカにおけるほど,結社の原理が,多数の異なった目的に対して,成功的に用いられ,あるいは惜しみなく適用されてきた国はない〉(《アメリカの民主主義》1835‐40)と賛嘆したことは有名である。実際,pressure group(圧力団体)という用語自体も1920年代にアメリカで使用されはじめてから一般に広まったのであり,また圧力団体研究にしても,アメリカの政治学者A.F.ベントリーの《政治の過程The Process of Government:a Study of Social Pressure》(1908)に始まり,D.B.トルーマンの《政治過程The Governmental Process》(1951)を経て,現代政治学における主要研究分野の一つとして確立したのであった。…

【個人主義】より

…個人という語の起源は古い。しかしトックビルによれば,アンシャン・レジームの時代には,個人は集団から十分に解放されておらず,したがって単独の個人を前提とする個人主義という造語は,フランス革命以後の近代になって初めて用いられるようになったのである。個人主義という語には多様な意味が与えられているが,どの場合にも含まれている成分として,人間の尊厳と自己決定という二つの要素を挙げることができる。…

【民主主義】より

…《コモン・センス》(1776)を書いてアメリカ人に独立の意義を教えたイギリスの急進主義者T.ペインが,《人間の権利》(1791‐92)の中で,アメリカの代表制こそ,アテナイの民主主義を大規模社会で,しかもより完全に実現させた,まさに共和主義の真髄である,と手放しに賞賛できたのもこのためである。
[ジャクソニアン・デモクラシーとトックビル]
 19世紀に入りアメリカでは,〈共和主義の宮廷〉という言葉に象徴される東部共和主義文化の貴族主義化があり,これに対して,独立農民の立場から,アメリカの理念の再純化としてrepublican democracyまたはdemocracyが新たに唱えられ,1828年大統領選挙におけるA.ジャクソンの圧勝とともに,〈ジャクソニアン・デモクラシーJacksonian Democracy〉の時代を迎える。この時代に,宗教的立場のいかんを問わない白人成年男子普通選挙制が,従来の西部各州から全国に拡大され,参加と自治の原理がさらに確立された。…

※「トックビル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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