アメリカのロック・グループ。グランジ・ロックの代表的存在。アルバム『ネヴァーマインド』を大ヒットさせて、アメリカのロック界にオルタナティブ・ロックの時代を到来させた。1985年にカート・コバーンKurt Cobain(1967―94、ボーカル、ギター)とクリス・ノボゼリックKrist Novoselic(1965― 、ベース)がワシントン州アバディーンで出会う。コバーンはアメリカのハードコア・パンク(パンクとヘビー・メタルの境界上にあるロック)のファンで、ワシントン州オリンピアを拠点にするバンド、メルビンズと交流があり、同じくパンクが好きだったノボゼリックと意気投合し、一緒にバンドを始める。当初コバーンはドラマーだったが、ボーカリストとギタリストがつぎつぎと入れ替わり、結局コバーンが楽器をギターに替えて歌うようにもなる。そして87年ごろ、ドラマーのチャド・チャニングChad Channing(1967― )を加え、トリオはニルバーナという名前に落ち着いた。
88年にシアトルのインディー・レーベル、サブ・ポップと契約し、デビュー・シングル「ラブ・バズ」を発表。翌年には600ドルあまりの低予算でつくったアルバム『ブリーチ』を発表する。このアルバムはカレッジ・ラジオで人気を集め、3万5000枚を売り上げた。加えて、ソニック・ユースなどのバンドやイギリスの専門紙などからの好意的な発言もあり、メジャー・レーベルが彼らに関心をもち始めた。
90年に新ドラマーとしてデーブ・グロールDave Grohl(1969― )を迎えたニルバーナはDGCレーベルと契約。ブッチ・ビグButch Vig(1957― )のプロデュースで2作目のアルバム『ネヴァーマインド』を録音する。この『ネヴァーマインド』が91年に発売されると、やり場のない欲求不満を皮肉を込めて叫ぶように歌ったシングル「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」が全米チャート第1位の大ヒットとなり、92年初頭にはアルバムもチャートの首位を占める爆発的成功を収めた。『ネヴァーマインド』は翌年までに300万枚を突破するミリオン・セラーになり、2003年現在までにアメリカだけで1000万枚以上を売っている。
ニルバーナの音楽は「薄汚れた、きたない」を意味する「グランジ」と呼ばれた。彼らは70年代のパンクのもつ怒りとニヒルなメッセージを、レッド・ツェッペリンやブラック・サバスのようなハード・ロックのサウンドと結びつけたのである。グランジを育んだシアトルは一躍注目の街となり、サウンドガーデン、マッドハニー、アリス・イン・チェーンズといったグループがつぎつぎと全米で人気を獲得し、それまでのヘビー・メタル・グループを一掃してしまう。そのうえニルバーナは、彼らの音楽とともにグランジ・ファッションを流行させた。ズボンにたくしこまず、だらりと着たフランネルのシャツや、虫に食われ穴のあいたようなぼろぼろのセーターなどがその特徴だった。
この突然の驚異的な成功はコバーンを「ジェネレーションX」(ダグラス・コープランドDouglas Copeland(1947― )の同名のベストセラー小説に由来する。1966~79年生まれで、親の離婚率が高く、未来に対する展望をもてずに虚無と倦怠と憂鬱を感じているとされた世代)と呼ばれる若者たちの英雄にしたが、コバーンはそういった注目に苦しむことになる。さらに、インディー・ロック・グループ、ホールのコートニー・ラブCourtney Love(1964― )との結婚、娘の誕生によって、ゴシップ好きのメディアにとっての格好の対象となった。その結果、コバーンは麻薬への耽溺(たんでき)、慢性的な胃の病気などに苦しみ、麻薬の過剰摂取で病院に担ぎ込まれる事件も数回起こした。
その後、93年にアルバム『イン・ユーテロ』が発表された。ファンの大きな期待は英米両国で発売週にアルバム・チャートの首位に躍り出るという結果に表れていたが、コバーンはますます精神的に不安定になっていた。94年のヨーロッパ・ツアーを、途中2月にローマで緊急入院して切り上げたコバーンは、3月に麻薬中毒更正施設に入る。しかしそこから抜け出し、4月5日にシアトルの自宅において猟銃で自殺した。遺体が発見されたのは死の3日後のことだった。コバーンの自殺の波紋は大きく、彼はグランジ世代にとって神格化された存在になった。同年末に『MTVアンプラグド』、96年にライブ・アルバム『フロム・ザ・マディ・バンクス・オブ・ウィッシュカー』が発表され、いずれも発売週にアルバム・チャートの1位を獲得している。
94年にニルバーナは解散し、その後、グロールはドラムから離れ、フー・ファイターズで歌とギターを担当し成功を収めた。ノボゼリックはコバーンが大きな影響を受けたと公言していたミート・パペッツのカート・カークウッドCurt Kirkwood(1959― )と2002年にアイズ・アドリフトを結成した。同年にはニルバーナの未発表曲入りのベスト盤が発売された。
[五十嵐正]
『『ローリングストーン』編集部編、丸山京子訳『カート・コバーン・トリビュート』(1996・バーン・コーポレーション)』▽『チャールズ・R・クロス著、竹林正子訳『Heavier than Heaven――カート・コバーン・バイオグラフィー』(2002・ロッキング・オン)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…サンスクリットのニルバーナnirvāṇaをなまった俗語からの音写語と考えられ,そのほか泥洹(ないおん),泥曰(ないおつ),などとも表記される。〈吹き消された〉ことという意味に起源する語で,本来は生命の火が吹き消された状態,すなわち〈死〉を意味するので,滅度(めつど),寂滅(じやくめつ)などと訳された。…
※「ニルバーナ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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