カレッジ・ラジオ(読み)かれっじらじお(英語表記)college radio

日本大百科全書(ニッポニカ) 「カレッジ・ラジオ」の意味・わかりやすい解説

カレッジ・ラジオ
かれっじらじお
college radio

大学の学生が運営して放送を行うラジオ局アメリカでは1960年代末から大学がFMラジオ局をもち、学生の運営で放送が行われるようになった。大学からの助成金による非営利運営を原則とし、ノンコマーシャルで放送される。その数は当時1500を超えるといわれ、それぞれの地域に密着した放送を行っていたが、リスナーに大きな影響力を持つにもかかわらず社会的認知度が低かった。

 カレッジ・ラジオの活動や、学生に人気のある音楽などに注目が集まらないことに不満をもっていたボストン近郊ブランダイス大学のDJロバート・ヘイバーRobert Haberは、1978年に全米のカレッジ・ラジオ局のネットワーク化に着手し、79年に雑誌『カレッジ・メディアジャーナルCollege Media Journal(現『CMJニュー・ミュージック・リポートCMJ New Music Report)を創刊する。『CMJ』は業界向けの音楽誌であったが、全米のカレッジ・ラジオ局のオンエア率やリクエスト数などからヒット・チャートを集計し、大学生の注目する音楽動向をいち早く紹介するメディアとして、徐々にその影響力を増してゆくことになる。

 81年にインディーレーベルからデビューしたR. E. M. はサイケデリックなフォークロック・グループであったが、ダンス・ポップかヘビー・メタル、あるいは大御所的ロック・スターで埋め尽くされた当時の全米ヒット・チャートをしりめに、カレッジ・チャートから火がつき人気グループとなっていく。バングルズ、ティムバック3といったカレッジ・チャートからブレークしたグループが1980年代には続出し、カレッジ・チャートはメジャー・ヒット候補生の観を呈した。U2、ポリス、ラブ・アンド・ロケッツ、キュアーといったイギリスのニュー・ウェーブ・グループも、まずカレッジ・チャートで人気を得た後、全米チャートを上っていく形でアメリカ進出を果たすこととなった。

 インディー・ロックの情報が雑誌メディアを通じて全国に伝わるイギリスに比べ、広大なアメリカのインディー・ロック・シーンの動向はなかなか伝わりにくく、いきおい1970年代までのアメリカン・ロックはイギリスに比べて保守的な傾向が強かった(パンク・ロックがそもそもニューヨークで誕生しながら、ロンドンで火がついて初めて世界中に広がっていったように)。しかしカレッジ・ラジオと『CMJ』によってアメリカ各地のローカル・シーンのネットワークが組織された結果、アンダーグラウンドなロック・シーンの動向が表面に現れるようになり、90年代以降のアメリカン・ロックの変革――オルタナティブ・ロックの隆盛――を導く環境が整備されたのである。

[増田 聡]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カレッジ・ラジオ」の意味・わかりやすい解説

カレッジ・ラジオ
カレッジラジオ
college radio

大学のキャンパスを中心とした狭いエリアの中で,学生向けの放送を行なっているラジオ局。大衆性よりも先鋭的,知性的な面の強いミュージシャンとその音楽を紹介することで,アメリカの 1980年代のロックシーンに大きく貢献した。このラジオで紹介されてから人気に火がついたミュージシャンも多く,MTVと並ぶ重要なメディアに成長したといえるだろう。

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