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ニーマン ニーマンNieman, Johannes Edewin

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ニーマン
ニーマン
Nieman, Johannes Edewin

[生]1797
[没]?
オランダの長崎出島商館長。ロンドン,パリで地理学を学び官吏となって東インドに渡り,スマトラバタビアに勤務してのち,1835年長崎に商館長として着任,38年まで在任。この間 38年の江戸参府に際して,渡辺崋山と面接してヨーロッパの政情,学芸について語った。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

ニーマン Niemann, Johannes Erdewin

1796-1850 オランダ商館長。
1796年2月21日生まれ。文政13年(1830)来日,天保(てんぽう)5-9年長崎出島の商館長。9年江戸参府の際,渡辺崋山(かざん)らからヨーロッパ事情について質問をうける。崋山はその会見をもとに「鴃舌或問(げきぜつわくもん)」をあらわした。日本婦人との間に1女をもうけた。享年54歳。アムステルダム出身。

出典|講談社
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朝日日本歴史人物事典の解説

ニーマン

没年:1850(1850)
生年:1796.2.21
江戸後期のオランダ商館長。アムステルダム生まれ。天保1(1830)年に来日し,同5年から同9年まで出島商館長。蛮社の獄ペリー艦隊来航の契機となったモリソン号事件(1837)の情報を初めて幕府に伝えたことで知られる(「ニイマン秘奏」)。同9年の江戸参府では多くの日本人と懇談,その模様をまとめた渡辺崋山『鴃舌或問』には,地理,医学など広範囲にわたる彼の学識が示されている。ニーマンの経歴,人柄,日本観を記した同『鴃舌小記』によれば,大柄で真率,読書好き,「志は芸学に厚く,仕進に薄」い人物であった。また日本婦人との間に女子をもうけ,養女に出したことが,ハーグ文書館の「加美丹にふまん子おきみ養女取極証文」からわかる。<参考文献>酒井シヅ「蘭館長ニーマンと長崎留学生」(『日本医史学雑誌』12巻1号)

(鳥井裕美子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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