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ネタニヤフ Netanyahu, Benjamin

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ネタニヤフ
Netanyahu, Benjamin

[生]1949.10.21. テルアビブ
イスラエルの政治家,外交官。首相(在任 1996~99,2009~ )。歴史家ベンシオン・ネタニヤフを父にもち,1963年家族とともにアメリカ合衆国のフィラデルフィアに移住した。1967年にイスラエル軍に入隊し,精鋭特殊部隊サエレット・マトカルの一員として,1972年にテルアビブ空港でハイジャック機奪還作戦に参加した。その後 1976年,マサチューセッツ工科大学で経営学修士号を取得。1988年にリクードからイスラエル国会(クネセト)議員に初当選。1988~91年に外務副大臣を務め,次いで 1991~92年にイツハク・ラビン率いる連立内閣の副首相を務める。1993年リクード党首選挙に立候補し,大勝してイツハク・シャミルの後継者となる。1993年にイスラエルとパレスチナ解放機構 PLOの間で結ばれたパレスチナ暫定自治協定(オスロ合意),および協定に基づくヨルダン川西岸とガザ地区からの撤退に反対したことで知られる。初めて首相が直接選挙で選ばれることになった 1996年5月29日の選挙で,ネタニヤフはシモン・ペレス首相に得票率わずか 1%の僅差で辛勝し,歴代イスラエル首相のなかで最年少の首相となった。2009年2月の選挙では,ネタニヤフ率いるリクードはかなりの躍進をみせたが,中道政党カディマに 1議席及ばなかった。その後の連立協議を経て,ネタニヤフはいくつか小規模政党の支持を集め,大統領から首班指名を受けた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ネタニヤフ
ねたにやふ
Benjamin Netaniyahu
(1949― )

イスラエルの外交官、政治家。アメリカのマサチューセッツ工科大学を卒業。アメリカでのコンサルタント会社勤務などを経て、1982年には駐米大使館公使、1984年国連大使、1988年外務次官。1991年にはシャミル内閣の首相府次官に就任。1993年に右派リクード連合指導者に選出され、1996年5月の初めての首相公選で労働党のペレス候補を破り、史上最年少首相に就任。入植地拡大とテロ断絶を掲げたタカ派色を前面に出し、1993年のオスロ合意に基づくパレスチナ側との和平プロセスは新たな困難に直面した。1998年10月アメリカ・クリントン大統領の仲介のもとパレスチナ自治政府アラファト議長との中東和平実施の交渉に入ったが、ヨルダン川西岸入植問題や治安問題をめぐって難航した。しかし、フセイン・ヨルダン国王の斡旋(あっせん)により合意文書(ワイ合意)に調印した。1999年5月の首相公選で労働党のバラク候補に敗れ、首相を退任。2009年2月の総選挙の結果、翌3月ふたたび首相に就任した。[清水 学]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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