ハインリヒ7世(読み)ハインリヒななせい(英語表記)Heinrich VII

改訂新版 世界大百科事典 「ハインリヒ7世」の意味・わかりやすい解説

ハインリヒ[7世]
Heinrich Ⅶ
生没年:1275ころ-1313

ルクセンブルク家初のドイツ王(在位1308-13),神聖ローマ皇帝(在位1312-13)。ハプスブルク家アルブレヒト1世暗殺によって王権強化策が失敗した後,諸侯は1273年のハプスブルク家と同様,西ドイツの一諸侯である彼を国王に選んだ。弟のトリール大司教バルドゥインの強力な工作があった。婚姻政策で息子ヨハンJohannにボヘミア王位を相続させ(1310),ハプスブルク家と同様家門の重心を東へ移した。イタリアに遠征し皇帝戴冠する(1312)が,南イタリア出征前にシエナで没した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ハインリヒ7世」の意味・わかりやすい解説

ハインリヒ7世
ハインリヒななせい
Heinrich VII

[生]1274. バレンシア
[没]1313.8.24. シェナ近郊ブオンコンベント
ルクセンブルク家のドイツ王,神聖ローマ皇帝 (在位 1308~13) 。大空位時代ののち,ドイツ皇帝位が各家を転々としていた頃の皇帝。ライン地方の選帝侯が,彼らの自由になる無力な人物を望んで皇帝に選んだのが彼であり,それはまた,強力なハプスブルク家への対抗策でもあった。したがって皇帝としては無力であったが,長男ヨハンをボヘミア王に選出させることに成功 (10) してからは,ルクセンブルク家興隆の道を開いた。この勢力を背景としてイタリア遠征を敢行ダンテが,彼を教皇の不正を押え,万人の主たる人物であると賛美したのは有名である。しかし,すでに皇帝の実権そのものが衰えており,反対勢力も強く,衰退に向うドイツを立直らすことなく夭折した。

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世界大百科事典(旧版)内のハインリヒ7世の言及

【フリードリヒ[2世]】より

…オットー4世がフランス王にブービーヌで大敗した(1214)のち,アーヘンで再び王冠を戴き単独支配を確立。20年聖界諸侯への特権授与とひきかえに,長子ハインリヒ7世Heinrich VIIを国王に選出せしめ,みずからはイタリアに帰って皇帝となる。25年第2の妃イザベッラとの結婚を通じてエルサレム王国を取得,29年にはエジプトのアイユーブ朝スルタン,カーミルとの外交協約により同地への支配権を実現する。…

【フリードリヒ[2世]】より

…シュタウフェン朝最後の神聖ローマ皇帝(在位1220‐50),シチリア王(在位1197‐1250)。ハインリヒ6世とシチリア王女コンスタンツェ(ノルマン朝シチリア王ルッジェーロ2世の息女)の間にパレルモに生まれる。1196年ハインリヒ6世はこの幼児をドイツ国王に選ばせたが,翌97年同帝の予測せぬ死により情勢は激変,ドイツにはウェルフェン家のオットー4世とハインリヒ6世の弟フィリップ(シュタウフェン家)の二重王権の対立状態が現出する。…

※「ハインリヒ7世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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